第6話 マウリャ/マリーナ★*

今回は大きく二つの部分に分かれています。
深夜、商人様は、リャードフ家の部屋で眠ろうとしています。ホテルでの逢瀬の余韻でいい気な妄想に浸っていたところに、不意の来客が貞操を捧げにやって来ます。家じゅうの者が集まって大騒ぎになり、令嬢リザヴェタが推理を披露。
後半は、翌昼間に、リザヴェタから使用人の処分について相談を受ける商人様です。

軽い性描写と少々残酷な場面があります。

8月12日午前,1826年

私は鸚鵡のいる部屋で眠りかけていた。腕には、いや腕以外にも、アクリナの感触がまだ残っていた。

私は自分の領地と、アクリナを囲う家のことを漠然と夢想した。アクリナと結婚するのは無理だから、結婚はしなくて良い。もう十分だ。
私が死んだら、領地は親族に譲ろう。
十二月党員デカブリストの又従兄は妻まで連れて流刑地に赴いたらしい。
もし彼らに息子がいても、農奴制を廃止したがっているようだから、領地を譲るのはやめるのが親切というものだろう。
【*デカブリストの乱は1825年で、この作の前年。農奴制廃止、皇帝の専制廃止を掲げた青年将校たちの反乱だが、一日で鎮圧された】

しかし、一家を統べる有能な主婦がいれば、農場の雰囲気はずいぶん変わる。召使いや農奴の気持ちを和らげながら、うまく働かせる主婦が欲しい。アクリナには絶対にできないだろう。
こんな条件でも、例えばリザヴェタなら飲んでくれるのではないか、という考えが浮かんだ。
いや、いくらなんでもこれは酷だろう……。
料理女についてきて、ついでに仕事として、一家を取りまとめる主婦になってくれ、とは。

だが、もしそんな夢想が実現したら、私は領地の経営を主にし、くだらぬ投機には手を出さない。私は堅実に二人を養っていこう。
ああ、少年時代の私が聞いたらあまりの俗物ぶりに驚くことだろう。劇作家(しかもコイネー……古典ギリシャ語で書くのだ。どこで上演するのだろうか)でも、考古学者でも、海賊でもないとは。

疲れているはずなのに、夢のような、浮かれたことばかり思いつく。おそらく、先ほどまでの余韻で気分が高揚しているのだ。
アクリナを囲う小屋には、大きな鳥小屋を作ってやろう。
リザヴェタには……彼女が何が好きか知らない。
オルガのようにフランスの恋愛小説を読むだろうか?
恋愛小説はあまり好きではなさそうだ。彼女はもっと実用的なことを好むだろう。リャードフ家でよくやっているように監獄に慰問に行くかもしれない。
オルガにはとてもできないことだ。黒髪が美しいオーレンカ【*オルガの愛称】は霧深きドイツのロマン派の絵や小説が好きだった。
私をロマン派の小説に出て来る男だと考えていた。

オーレンカ本人は美しさと適度な機知、優しさや薔薇のように夢見る力しか持たなかった。しかし彼女には家柄と有力な身内があった。
オルガの兄の将校、リザヴェタの父の監獄長官で将軍、毛並みの良い彼女たちの身内の男は世間に強い力を持っている。
彼らは私を調べ、追い詰め、ふざけた生活を叩き壊すだろう。
軍人たちはすぐに親友を作る。オルガの兄やリザヴェタの父をなんとか排除しても、彼らの親友が私を追うだろう……。

小さく鍵をまわし、ガチャリと扉が開く音がした。暗い部屋にひっそりと入ってくる裸足の足音が聞こえた。蝋燭ろうそくのかすかな光が扉から近づいてくる。
「……アクリナ」
私は少し呆れた。先ほどまで何時間も交わっていたのに。私の前でアクリナが止まる。
「……寂しいのか?」
私は彼女の手を握る。
感触が違う。
「……アクリナですって?」
不思議そうな無邪気な声がした。
アクリナの手は骨のようにさらさらしていたが、この女はぽっちゃりと汗をかいている。「誰だ?」
私は訊いた。
小声で「マウリャです」と聞こえた。
手に持った、小さな燭台の火が赤毛を照らした。膝丈のルバーハを飾り帯で巻いただけの姿である。
「何かあったのか……? 誰か倒れたとか」

マウリャは私の寝台の脇に膝をつき、小声で話しかける。
「いいえ、あの……商人様は、ここから西に二〇〇露里【*一露里は約一キロメートル】の、河川要塞の街を通っておいでになりましたね。途中で馬が死に、一週間もかけて歩いていらしたとか。
船曳き人夫みたいに革の帯を胸に掛け、ご自分で荷物の車を曳いて。なんてお気の毒なんでしょう」
「ああ」
「そのあと、お疲れのあまり一週間以上寝込んでおられましたわ」
「ああ、それで?」
「あの、殿方はそれほど……お辛い日々が続くと」
言いたいことはなんとなくわかってきた。さすがのマウリャも声が上ずっている。
「……その、若い娘が必要になるのではありませんか」
私は上半身を起こした。
「……マウリャ、勘弁してくれ……。ああ、おまえの度胸は認める」
「商人様、あたしは……貴男様に身を捧げる決心をして参りました……初めてお会いした時から、お慕いしておりました……」
初めてお会いしたのは昨日ではないか。マウリャの手が私の手にかぶさる。さすがに震えている。
「昨日、私はアクリナと出かけたろう?」
「はい」
「アクリナに売春宿に案内してもらった。だから出て行け、五秒で出て行ったら不問にしてやる」
「そんな……」
私は布団に潜り込んで、背を向けた。出て行く気配はない。大した娘だ。

「それは嘘でございます。商人様は売春宿に行っておられません」
「何故?」
マウリャは高く清んだ声で滔々と語りはじめた。いつも口ごもってばかりいるアクリナとは、ずいぶんな違いである。
「昨日、三時に市場の喫茶場でお目にかかりましたわね」
「ああ」
私は『ああ』とか『何故』とかしか返事をしていない。頭が働かない。
「あたしはあの少し前に、市場でアクリナさんと別れました。
商人様がアクリナさんに案内させて『後家さん通り』の売春宿に行くなら、三時より前に行かないと無理です。
監獄の衛兵たちの交代時間のすぐあとなんです。ものすごく混みます。兵隊さんたちは殺気立っていて、どんな偉い方でも割り込みは許しません。
……予約していれば大丈夫ですが、……アクリナさんに案内してもらわれたのですよね。あたしと別れたばかりのアクリナさんが予約に行けるわけがありません」
意外と頭が回るのだな、と私は感心した。が、他の行動の軽率さはどうだろう。小利口なだけの女は嫌いだった。

寝台横の卓に燭台が置かれる。
マウリャは小柄だ。同じ場所に立ったアクリナはもう少し乳の位置が高かった。
マウリャは亜麻のルバーハの、大きく開いた胸元の釦をはずし、さらにずり下ろす。小粒で硬そうな、娘らしい乳房を露出する。燭台を近づけて、乳房を照らす。
「一晩だけで……構いませんから……」
震え声で言って、マウリャは私の手を取り胸に当てた。皮膚は熱く、小さな乳房は驚くほど硬かった。ああ、……私の好みではない。
私は上半身を起こし、マウリャの頬を思い切り平手で張った。多少手加減するべきであったかもしれぬが構わなかった。
マウリャは床に倒れ、大声で泣きだした。
「おまえが泣こうとどうでも良い。私をなんだと思っている? おまえが私の農奴なら、そのまま裸に剥いて鞭で打ち、一番醜い男たちに犯させる」

マウリャは今度は本当に震えていた。鸚鵡がバタバタ騒いだ。
騒ぎを聞きつけたらしいリャードフ家の人々が部屋の外に集まってきた。
「どうかしたかね。強盗か?」
フョードルが言う。
私は扉の鍵を開ける。ローブをまとったリザヴェタ、フョードル、それに召使いたち……恐ろしそうに覗くアクリナ、玄関番で馭者の蛮族の青年、マウリャより若い下働きの娘らが、遠巻きに囲んでいる。

玄関番の青年が、フョードルにランプを渡す。頬を真っ赤に腫らして床に這い、乳房を丸出しにして泣いているマウリャの姿が浮き上がる。
玄関番の青年は見るに忍びなかったらしく、後ろに下がって消えた。

「商人殿、これはどういうことですかな」
フョードルが不機嫌そうに言った。音の低い金管楽器のように、よくとおる声だった。
初めて会ったときはおどけてばかりいたが、じっさいは有能な将軍であり、辣腕の監獄長官である。士官学校を卒業してすぐにトルコとの戦争があった。リャードフ中尉はたちまち頭角を現した。黒い口髭をたくわえ、目の力が鋭く、強い。
リザヴェタは気丈にマウリャを見下ろしている。下働きの娘は十二、三歳だろう。泣きだした。

アクリナが、マウリャのそばに座り、ルバーハを直し、釦を留めてやっていた。マウリャはアクリナに抱きつき、いっそうひどく泣きだす。
「商人様があんな方だとは思いませんでした! あたしに夜中に来るように言って……服をはだけて……あたしを叩いて」
アクリナはマウリャを抱いたまま、こわばった表情で私を見ている。
アクリナはまさか本気にしないと思うのだが。単に平手打ちの激しさが怖かったのかもしれない。

「フョードル殿」
私は言った。
「お騒がせして申しわけありません。リザヴェタさん、それに召使いの諸君も」
「ひどいわ。商人様、ひどい」
下働きの娘が叫んだ。私は言う。
「おまえは黙っていなさい。何か聞かれた時だけ答えればいい」
アクリナは下働きの娘に氷と、氷を包む布を取ってくる来るように命じた。
どうもかなりひどく殴ったらしい。それとも、アクリナなりの非難なのだろうか。
「マウリャとは何も約束などしていません。先ほど、扉の鍵を開けて突然入って来ました。自分で服をはだけ、私に身を任せたいというので断りました。
申し入れが無礼だったので、フョードル殿の召使いですが、罰を与えました。
頬への平手打ちです。そうするとわめきだして皆さんがお集まりになったのです」

「違います!」
マウリャが叫んだ。
「商人様があたしにおっしゃったのです。二週間このかたずっと女に触れていない、夜、自分の部屋に来いと。
あたしはお断りいたしました……それならリザヴェタお嬢様の部屋に案内せよ、と申されて……しかたなく参ったのです!」
リザヴェタが冷たい表情で、私とマウリャを見比べていた。
私は顔をしかめていたと思う。
「……マウリャの言うとおりだとすると、私が彼女を叩き出す必要はまったくないでしょう。マウリャで欲望を満たして、静かに出ていって貰えばよろしい」
「何かあたしが商人様の気に触ることを申しあげたのです。『正教徒ならこんな無体なことはおやめください』とか。
だから、商人様は途中でやめて、あたしを叩いて追い出そうとしたのですわ!」

フョードルは面倒そうになった。
「わかった、商人殿、それに小間使いよ、お互いの言い分は明日検討しよう。わしは疲れている。もう寝る」
監獄を預かるフョードルにとっては、この程度のことは、若い者どうしのささやかで、くだらない欲望や意地や自尊心の問題に過ぎないのだろう。
私は独り身の男だし、マウリャはただの召使いである。リザヴェタが巻き込まれたならばともかく、関心はあるまい。
下働きの娘が雪の塊と頭巾を持って戻って来た。アクリナは雪の塊を布で包んでマウリャの頬に巻いた。
マウリャはアクリナに抱きつき、大声で泣き続けている。

「商人様、マウリャは鍵を開けたとおっしゃいましたね」
リザヴェタが私に訊いた。
「ええ」
「この扉の錠は内側からかけます。商人様はお眠りになる時、扉の錠をかけましたか?」
これは面白い、リザヴェタが警察の真似をしている!
「この扉は施錠されていても、鍵を使えば外からも開けられますわね。主鍵だけで、複製品はありません。
鍵は、商人様のお世話をしていたアクリナに渡してありました。
掃除や洗濯、お食事を運んだりするためです」
緊張したアクリナが、震え声でリザヴェタに言った。
「あ、あたしは鍵をあたしの部屋に置いていました。聖ニコラ様のイコンに捧げて」
「それはあるかしら? アクリナ、見て来てちょうだい」
「は、はい」

アクリナはマウリャの頭を膝に載せていた。
「アクリナさん、行かないで」
マウリャが言った。
「すぐ戻って来るから……」
アクリナは、マウリャの小さな赤毛の頭を持ち上げた。アクリナは立ちあがりながら、マウリャの上半身をそっと床に横たえる。
その途端、チャリンという音がした。横になったマウリャのルバーハの隠しから、鍵が転がり落ちたのだ。

リザヴェタが言った。
「商人様、うちの使用人がとんだ迷惑をおかけし、申し訳ございません」
「いえ、リザヴェタさんには感嘆するばかりです」
リザヴェタはローブをかき寄せる。
「こんな格好で失礼いたしました。
でも、わたくしは、父の仕事柄、しょっちゅう監獄に慰問に行き、半裸の囚人たちを見慣れております……囚人と商人様を比べるのは失礼ですが……これはお互いさまということで忘れませんか」
「ええ、そうですね」
「では、失礼いたします。商人様、お休みなさい。マウリャはわたくしのところに来て」
ぞろぞろと出て行く。
私はどうでも良くなり、また寝た。

……

翌朝、アクリナが朝食を持ってきた。
私が食べている間、アクリナはイコンに灯明をあげ、何か短い祈りの言葉を呟いた。
それから鸚鵡に餌をやり、水入れの水を変える。汚れた洗濯物を運び出し、洗いたての服を持って来る。
私は紅茶を飲みながら、アクリナに話しかける。
「今日は晩餐の支度が大変なようだな」
「……シベリヤふうというご希望なので、貴男様のお口に合いますかどうか」
「体は大丈夫か」
「はい、あの……疼くのは収まりましたが、少し痛う……ございます」
「入れたところが?」
アクリナはためらってから答える。
「……はい」
「そのうち、私の形に合うようになる」

アクリナが寝台の私の横に立った。
「あの……差し出がましいのですが、商人様……」
アクリナが、怯えながら言う。
「マウリャ……」
「ああ、マリーナね」
「頬が腫れあがっていました。今朝は大きな痣になって……あそこまで強く……お打ちにならなくても……」
「アクリナ・ニコラエヴナ、おまえは私に意見できるようになったのだね」
「申し訳ございません!」
「いや、こういう些細なことにならまったく構わんよ」
些細なのかどうか、アクリナは困惑しているようだった。
「あれでも手加減……はしていないけれど、もし、私の家の者なら、もっと重い罰を与える。不満か? それともマリーナの気持ちをおもんぱかって、誘いに乗れとでも言うのかい」
「いえ、まさか……ただ、商人様が……怖ろしかったのです」
「心配しなくてもおまえを殴ったりしないが。アクリーヌシュカ、そうだね、おまえの場合はもっと酷い目に遭わせるから」
アクリナは朝食の皿を片づけ、ワゴンに載せる。食器を扱う手が震えている。
「……どんな……」
「貞操帯でもつけるかね? それとも、居間の柱にでもおまえを縛って……もちろん一糸纏わずだ……きれいだろうな。石榴色の裂け目が広がるようにしてね、三日くらいそのまま、うん、排泄は……盥を下に置いておくかな」
「そんな恐ろしいお話、おやめくださいませ!」
「聞いたのはおまえだ。私はフランスの魔女裁判の本が好きだった。拷問器具のきれいな図解が載っていたよ。おまえを水車に縛りつけてみたい」
「いざとなったら、本当におやりになるのですね……」
アクリナの目が潤む。よほど怖かったのか、ボロボロ涙が落ちる。
「やるだろうね」

私はアクリナの腕を掴み、私のほうにかがませる。なるべく優しく接吻し、手巾で涙を拭く。そして、サラファンに手を差し込むようにして、薄い亜麻のルバーハのうえから乳房に触れた。
昨日散々触れ、舐め、噛み、揉みしだき、乳首を尖らせ、うめき声や悲鳴をあげさせたりした場所だ。アクリナはそれでもまた呻きつつ溜息を漏らすのだ。
「やはり、こちらのほうがずっと良い」
「こちらって……? あ……、あの……」
アクリナは快楽の苦痛のためか、体をくねらし、うつむく。
「気にするな。ああ、まったく、これを完全に私のものにしたい。戻ってきて最初にするのはフョードル殿からおまえを買い受けることだ。法律的にもおまえを私のものにする」
私はサラファンから手を放す。
「……今でもあたしは上から下まで……何もかも商人様の思し召しどおりになっているではございませんか……」
「我が国の国民には遵法じゅんぽう精神がない。法律も呆れるほど未整備だ」
アクリナはきょとんとしている。
「ああ、わからないか……」
私は言い直す。
「皇帝陛下の名の下におまえを私の所有物にしたいのだ」
「あたしを貴男様の所有物に……? まだ、フョードル様の召使いではありますけれども……ですが、もう、とうにそうではありませんの?」
アクリナは不思議そうにそう言い、ワゴンを押して出て行った。

午前十一時、ヘンリー卿を探しに出かけようとすると、リザヴェタに引き留められた。相談したいことがあるというのだ。
私とリザヴェタは、海豹まるごと一匹の毛皮が飾られた居間の、大きな卓を挟み、サモワールの煮つまった紅茶を飲んでいた。
奥の台所では、今日の晩餐会のための作業が延々行われている。マリーナもいっしょに、ひまわりの種をすりつぶしたり、ライ麦の粉を捏ねたりしていた。

「わたくしの母が亡くなったのは、十六歳の時でしたわ」
リザヴェタが言った。
「それまで、蝶よ花よと何も知らずに来たのです。父は仕事が忙しく……わたくしが結婚して家を出て、父が後添えを貰えば良かったのでしょうけれど。
当時、わたくしの許婚であった方が……三つほど歳下だったのと、正直に申しあげましょう。
今晩の晩餐会に見えます。少し足りない方なのです」
「それはお辛いことですね」
「ええ、ですからわたくしは結婚を伸ばしました。
その後、破談にするのに何年もかかって、婚期を逃してしまいました。見よう見まねで家事の采配をしておりますが、やはり判断がつきかねることが多いのです」
リザヴェタは、慎ましくはあるのだが、初めて会った時ほどの内気さはなく、考えを整然と述べる。

どうも私はこの令嬢から信頼されはじめたように思える。……邪推かもしれないが、マリーナの誘いをにべもなくはねつけたことで、リザヴェタは、私が婦人に対して不逞な行いなどしない、誠実な男だと考えたのではなかろうか。
この女をアクリナのように押さえつけ、ドレスを剥いでみたらと考えてみる。脱がせた体はだいたい想像がついた。まあできなくはあるまい。
リザヴェタは男を知らないはずだから、羞恥に悶える姿を見せるか、歯を食いしばって役目を受け入れるか、よくわからない……後者のような気がする……別に悪くもなさそうだが……正直なところ、積極的に褥をともにしたいという気は起きない。
しかし、居間に座って使用人の話をしていると、まるでここが私たち二人の家庭のようである。この気分は悪くはなかった。

リザヴェタのまわりには、頼ったり相談したりする同性の人間がいなかったのだろう。その点は同情した。
「リザヴェタ・フョードロヴナ、貴女はよくやっておられるように見えますが。昨夜のお裁きも見事でした」
「事実を見つけることはできましても、良い対策となるとわたくしにはまだ見当もつきません。あの……エヴゲーニイ・パヴロヴィチ、貴男様なら昨夜の一件を、どう始末なさいます?」
リザヴェタの表情は真剣である。それなりの一家の主婦にとって、使用人の管理は重要な役割であった。
「マリーナのことですか」
マウリャという愛称ではなく、本名のマリーナと呼んだことで余計に、私の怒りが激しいという印象を与えたようだった。
「……そうです。マリーナです。恥知らずな娘で本当にご迷惑をおかけしました」

「私も父の後を継いだのは十九の時でした。家令がしっかりしていたからなんとかやれたようなものです。
そうですね、お勤めの方のお宅と農場の家では違うでしょうが、私ならマリーナの仕事先を一段下にします」
「下と申しますと?」
「本来なら叩き出したいところですが、農奴は財産です。
家の中で働く召使いなら外の農場へ、最初から農場で働いていたら口もきけないほど厳しい場所にまわします。
ずっと脱穀しているとかね。他の農奴からは離します。おしゃべりは面倒を生みますから」
「とても参考になりますわ。ただ、わたくしどもは父の俸給で暮らす身で、下の仕事をさせるといってもたかが知れています」
「でしたら、お宅からお出しになったほうが良いでしょう。今日は晩餐会の支度があるとして、明日ですね」
「そういえば、貴男様は昨日も、マリーナに意見してくださっておりましたね。本当にありがたいことなのに……。
あの子は一見賢そうだけれど、愚かです。昨日も、貴男様のお小言の口調が柔らかでしたから、誤解したのでしょう」

「マリーナのことで貴女がそれほど悩むことはないと思いますが。リザヴェタ・フョードロヴナ」
「ええ、ただ、ここでうちから出してしまいますと、あの子は底知れず落ちていくように思われまして。
いくら貴男様のような方に(リザヴェタは顔を赤らめた)、恋い焦がれていようとも……軽々と自分から殿方の部屋に忍び込むのは、百姓娘でも許せません。
【* 農民の女性は婚前交渉が比較的自由であった。逆に令嬢は処女性が重視された。結婚すると逆になる】

リザヴェタは新たな紅茶をサモワールから茶器に出し、続ける。
「嘘も平気でつくし……何かすべてを軽く見ているようで、……わたくしは貴男様の身分も説明したのに、わからないのです」
「マリーナが私に恋い焦がれていたとは思えません。ただの好奇心でしょう。
マリーナは、売りに出された農奴の出だそうですね。フョードル殿がお買いになって、小間使いにしたと聞きました。
元手もかかっていらっしゃるでしょう。『後家さん通り』の娼館にでも売ったらいかがです。きちんとしたお宅の召使いはとても勤まらない」
「娼館でございますか……」
リザヴェタの表情は暗い。
が、それくらいしか方法がないではないか。清国あたりに売って、『両脚羊』と呼ばれ、料理の材料にされるより、はるかにましではないか!
「はい。貴女のような清らかな淑女の前で、このような言葉を出して申し訳ないのですが」
「いえ、わたくしが恐れていたのもそれなのです。ここから出したら、あの娘には、娼館くらいしか行き場がなくなってしまうのではないかということです」
「お父様はなんとおっしゃってるのです?」
「おまえにまかせる、と」
私は思わず笑った。

「娼館に売りに行くならば、貴女にそんな交渉をさせるわけにはいきません。私が参りましょう」
リザヴェタは呆気にとられている。
「なんてご決断が早いんですの!」
「農奴が七〇〇人からいると……、問題を起こす者はすぐに裁かなければなりません。
失敗や馬鹿げた振る舞いがあるのはもちろん仕方がありません。普通の者ならば軽い罰で済ませます。
だが、マリーナはどうも……これからさらに問題を起こしそうな気がするのです」
リザヴェタが言う。
「アクリナがポツリと、貴男様のことを『怖い方だ』と申しておりましたわ。人様の噂をするような者ではないのですが」
「それは心外ですね。アクリナにはずいぶん優しく接っしたつもりですが。今朝の朝食の蕎麦粉の粥カーシャも良かった」
「アクリナくらいの古参ならば、どなたに敬意を払うべきかわかるのでしょう」

リザヴェタは立ちあがった。
「せっかくお時間を割いていただいたのですが……マリーナには、あと一度だけ機会をあげようと思うのです。そうすれば、わたくしの慈悲心も満足します。
たぶん貴男様のおっしゃるとおりなのでしょうね。でも、もしや、今回の件でおとなしくなってくれればと思いますと……。
ああ、わたくしの慈悲心も一度痛い目にあえば良いのですわ!」
リザヴェタは居間を出て、台所のマリーナを呼んだ。
私も席を立ち、出かけるために外套を取りに行った。