第9話 パーヴェルとフョークラ 1★

夜、リャードフ家に戻ってきた商人様が、アクリナを部屋に連れ込んで、文字を教えたり、自分の両親や父の愛人の『魔女』の話をしながら、アクリナをいじめているのかいちゃいちゃしているのかというパターンの話です。
長いので二回に分けます。

8月13日から8月14日にかけての夜,1826年

夜九時にリャードフ家に戻った。
この屋敷は、雪が多く寒い、我がロシヤ帝国の豊かな家によくある方式で、主人や客は広い玄関間から二階へと階段を登り、二階以上を居室にする。
玄関間の脇には、玄関番や使用人の部屋があった。
私は玄関番の部屋を叩く。
ヒローシャが眠たげなようすで出てきた。「おかえりなさいませ、大切なお客様の首都の商人様」
「あの子……小間使いの見習いの子はいるかね」
「タユータさんですか」
「タユータというのか。そのタユータに頼みがある。呼んでくれないか」
「はい。ですが、使用人どうしとはいえ、ご婦人の居場所に、私が入るわけには参りません。タユータさんがもう寝ていたらお許しください」
「礼儀正しいな」
「ありがとうございます」

ヒローシャが、使用人部屋に繋がっているらしき針金を引いた。奥で呼び鈴が鳴る。
しばらくして、アクリナが出て来た。
おそらく寝間着はルバーハだけなのだろう。ボタンのない青いサラファンをかぶっていたが、左右の肩紐の高さが違う。
慌てて身につけたのであろう。藁色の柔らかな髪は編んでおらず、いい加減に束ねただけだ。
私を見て驚いている。
「ああ、どうしてこんなむさ苦しいところにおいでになるのです? 商人様、おかえりなさいませ、……こんな姿で申し訳ありません」
アクリナが丁重に頭を下げる。
「いや、髪はともかく、きちんと服を着ているではないか」
アクリナが顔を赤らめ、ヒローシャのようすをそっとうかがう。青年はもちろん、この会話から性的な意味など嗅ぎとらない。

「タユータはいるかね?」
「……はい、おりますが……眠ってしまいました。あたしが代わりに承ります」
「いや、タユータでなければ駄目なのだ。起こしてくれ」
「は、はい」アクリナはふたたび使用人部屋に戻る。
私はヒローシャに訊く。「眠る場所はここかね?」
「冬は奥の男子の使用人部屋です。夏は、もうどなたもお帰りにならないことがわかれば、私の部屋に下がります。
馬小屋の上に部屋を作る許可をいただいたのです」
「それは素晴らしいね。フョードル殿は戻られたのか?」
「いえ、先ほど騎馬で伝令の方がお見えになりました。十一時すぎになるとのことです」
「その時間まで待つのか。大変だね」

アクリナが、半分寝たようなタユータを連れてくる。
十二、三歳のまったくの子供だ。タユータは私を見た途端に大声をあげた。「マウリャを返してよ!」
「タユータさん、駄目だ。この方は大切なお客様の首都の商人様。貴女はご命令に従わなければなりません」
「タユータ、リザヴェタお嬢様にこの手紙をお渡ししてくれ。部屋にいらしたら、部屋に届けて」
私は毛皮外套の隠しから封書を出した。素っ気なく白い、商用に使う封筒だ。
タユータは私を睨みつけると、乱暴に一礼し、玄関番の部屋の扉を開け、階段を駆け上っていった。
私はアクリナに言う。「紅茶をいれてくれないか」
「はい」

リザヴェタは自室にこもっているらしい。居間にも客間にも人気がない。
「部屋に運んでくれ」
「……はい」
私は外套を脱ぎ、ペチカの前のベンチに座り、アクリナが運んできた紅茶を飲む。
「媚薬の薬湯というのは、いつ作ってくれるのかね」
私は言う。
「そんなの……作りませんわ」
「公衆浴場に入って来た。囚人が来る日は凄まじい有様らしいな。修道士は来るのだろうか。それとも修道士は風呂ではなく、雪の中で水に浸かるのかね」

「あの、商人様……」
ベンチの前にワゴンを置き、アクリナは私の足元にひざまずいている。
「どうも、リザヴェタ様の具合がお悪くていらっしゃるようなのです。病気ではないとおっしゃるのですが……」
「どんな具合だね」
「お部屋に閉じこもって……。あたしがお部屋にお昼や夕食や、おやつを持っていっても召し上がってくださいませんでした。
クワスだけは飲んでくださいましたが。
ですから……お顔もほとんど拝見していないのです。ちらりと見えたところでは、ほんとうに疲れていらっしゃって……」
「なるほどね」
「どうなすったのでしょう。あたしは、心配で……」

私はアクリナの手を引き、ベンチの隣に座らせた。
「アクリーヌシュカ、私はこちらのお宅の客だ。リザヴェタさんに仕えているのはおまえだ。私に訴えるのは筋違いではないかね。
もちろん、ご病気で医者を呼ぶ必要があるというなら、力を貸すのにやぶさかではないが」
「え、あ。……そうでございますね。……申し訳ありません……ただ」
「商人様は、リザヴェタ様からとても信頼されていらっしゃるように見受けられましたので……」
「よくわからない。
確かに気丈なご婦人だが、無茶をしすぎる。お父上とは違うのに。
具合が悪くなった原因なんて単純だよ。マリーナを売るのに売春宿の中までついて来たのだ。せっかく私が代理でやろうと申しあげたのに」

「……マウリャはどうなったのです」
「百二十ルーブルだった。娼婦どうしの争いがひどいらしいが、あの娘なら平気だろう」
「百二十ルーブル……」
「値段をつけるのには検品をする。家畜市場みたいにね。
具体的には裸にして、病気がないか、男を受け入れる穴はどんな具合か調べる。
私とリザヴェタさんは遠くで見ていただけだが」
「そのようなものを、お嬢様がご覧になったのですか! ……どうして止めてくださらなかったのです?」
「止めて聞き入れる婦人かね?
マウリャのほうはひと通りわめいた後はけろりとしていたがね、生娘のくせに。いや、今ごろはもう生娘ではないか。リザヴェタさんは、まあ、胸を痛めていた」
「そんな。なんて可哀相なリザヴェタ様……マウリャも……」
「pauvre Aquilina」……可哀相なアクリナ
「何故、あたしのことを?」
「フランス語を覚えたのか? ますます教養あふれる貴婦人になっているじゃないか。
おまえのほうが可哀相なのが似合う……そういえば、リザヴェタさんに何か鍵の話をされたかね?」
「え? いえ、何も……。どういうことです……?」

『アクリナさん!』
ヒローシャが大声で呼んでいる。
『伝令の方が見えて、フョードル様は将校様たちと飲みすぎたから、今日は官舎にお泊まりだそうです!』

「……あ、あのヒローシャに返事をして来て構わないでしょうか。戸締りもしないと」
「どうぞ。……この部屋に、当然のように戻ってくるつもりなのだね」
アクリナの陰気な、私をじっと見つめる灰色の目が、潤む。
「戻ってまいります。そして、……色々なお願いをいたします」

アクリナが部屋を出て、ヒローシャと何か喋る声がする。先ほどのヒローシャの知らせは、二階の反対側の端にあるはずのリザヴェタの部屋まで届いただろうか。
将校たちと飲みすぎた、それは本当かもしれないが、もしかしたら『お世話をしている上品なご婦人』のところにご宿泊かもしれない。もしリザヴェタが聞いていれば、そう受け取るだろう。
いや、それよりもタユータが運んで行った手紙を読んだだろうか。

私は立ちあがり、布をかけられた鳥籠を見る。私はランプに油を足す。ランプひとつの部屋は暗い。私はもうひとつのランプに火を移し、ペチカの脇に置く。ついでに思いついて、祭壇のイコンを裏返した。
クラバットをほどく。
洒落者ダンディとは奇妙な存在だ。
ダンディの代表は英国のボー・ブランメルという人物である。
彼は平民のででありながら、西ヨーロッパの社交界の花形になり、彼が着る服はたちまち流行した。毎日服装を整えるのに二時間かけた。そして選ぶのは無造作にしか見えない素っ気ない服なのだ。
あの情熱的な詩人バイロン卿が『ナポレオンになるより、ブランメルになりたい』と言ったという。
そのボー・ブランメルの質素だが凝った服装と、服装に全てを賭けるが、服装自体はまったくそうは見せないというダンディの不思議な信念が我がロシヤ帝国までたどり着いた。
私は、『フランスの洒落者の振りをする田舎者の露助ルスキー』になった。
もちろん私は服装を真似るだけで、そこにすべてを賭けたりしない。
中身はただ、フランス語だの英語だのが喋れるだけで、あとはどうしようもない屑だ。リザヴェタさんがそれをわかってくだされば幸いだ! 公衆浴場の待合室で求婚の手紙を書いた甲斐があったというものだ。

前部を水平に、腹のあたりで切り取った膝丈のフロックを脱ぐ。それにチョッキ……英語では胴衣、ウエストコートという……のボタンをはずす。
シャツとズボンだけの姿で煮出した紅茶をすすり、アクリナが戻って来るのを待つ。
アクリナと二人で過ごすのは何日ぶりか? ホテルに行ったのが八月十一日、今日は十三日で、もうすぐ十四日になる。丸二日も、指先すら触れていないではないか!
しかし今夜は良いとして、これからは会うのが難しくなる。アクリナもマリーナがいなくなった分、仕事が増えるはずだ。

部屋の外では、アクリナが近づいてくる軽い足音がする。
ああ、今日何が起きたか何も知らない主人思いのアクリナ! 
私がこの街にたどり着く行程の疲れで寝こんで無邪気な姿をさらしていた時、この旦那様がリザヴェタお嬢様の花婿になってくだすったらと夢想したアクリナよ。あの馬鹿娘のマリーナが全部お嬢様にぶちまけてくださった。
そのことに対して私からはおまえに何も言わない。言ったらこの夜が台無しになる。それに私はおまえを泣かせたいのだ。
……

リザヴェタは、誇り高さのために、アクリナに露骨に残忍な仕打ちには出ないだろう。だが、フョードルの部下から、適当な……アクリナよりも歳上で人柄の良い、やもめの軍曹なぞを探しだし、嫁がせたりするかもしれない。農奴の娘からならば大した出世である。
じっさい、そのほうが彼女には幸せかもしれないのだが。
私が戻ってくるまで、リャードフ家の料理女として無事に暮らしていくのはもう無理なのだろうか。

「商人様……、あの、リザヴェタお嬢様と鍵のお話というのはなんでございましょう?」
「すまない、勘違いだ」(つまり、アクリナはまだ、この部屋の鍵を返せなどとは言われていないのだ)
アクリナは息せき切って言った。
「あ、……はい……商人様、エヴゲーニイ・パヴロヴィチ……お願いをしてもよろしゅうございますか……」
「この前、妙な小娘にお願いをされてね……ルバーハ一枚でやってきて、自分で胸をさらして……お慕いしています。一晩で構わないから抱いてくださいと。乳房に無理やり触らされて、実に辟易へきえきしたよ」
「どうして……そんなに意地悪なのですか……」
「意地悪か? おまえも同じことをしようとしていたのかね」
アクリナと私はペチカの前のベンチに腰かけていた。アクリナはうなだれながら答えた。
「はい……だって、他にどうすれば良いのかわかりませんもの……」
何故そんなに正直に答える? だから危なっかしいのだ!

「貴男様に、あの、触れていただかないと……あたしは……」
私は先々のことが気になり、せっかくアクリナがいるのにくつろぐことができない。
私は答える。
「手でも繋ぐか?」
「それでも、構いません……」
「それでも構いません、か」
「お願いします……商人様……あたしと手を繋いでくださいまし」
私は右側にいるアクリナと手を繋ぎ、彼女の太腿に手を載せた。「……お飽きになったのですか……」
「いや」
「何故、貴男様の方がいつも余裕を持っていらして、あたしのほうが……いつも……あの、抱いていただきたくて仕方がないのでしょう」
私はおかしくて仕方がなくなった。「なんて可愛いのだね。ああ、いつも抱いてもらいたがっているなんて全然知らなかったよ!」
「真面目にうかがっているのですわ!」
「いや……欲望の溜まり具合が違うのだろうよ。おまえは許婚氏の喪に服している期間が長すぎた」
「その間に、貴男様は……美しい貴婦人たちと……」
アクリナの目が潤みだした。藁色の睫毛が濡れる。

「おまえでも『やきもち』を焼くのか? 数日前には冒涜だの羞恥だので泣いていた気がするのだが」
「貴男様がそうしたのではありませんか……すぐに他の……南国のコルセットの貴婦人だとか、夫に放っておかれた人妻の愛人になった話だのをなさって……あ、あたしには……快楽をご自分のお好きな時にたっぷり与えたり、止めたりなさって。
……あたしはまるで犬みたいに……撫でてもらおうもらおうとしているのです……。
体じゅうがびくびくと敏感になって痺れて、お祈りもできません! 名前を書く練習をするのも辛うございました。
貴男様が背後から……あたしを弄る、指や掌の感触が生々しく蘇ってくるのです。
せっかく、自分の名前を書けるようになって、次は貴男様のお名前を練習しようと思っておりましたのに……」
「名前が書けるようになったのかい? 偉いね」
「ええ、ですから……褒めてください。ああ、でも……南国のコルセットの貴婦人は、文字などすらすら書けるのですね」
どうも、『南国のコルセットの貴婦人』という言葉が印象に残っているようだ。いったいどんなものを想像しているのか、想像もつかない。

「『南国のコルセットの貴婦人』たちは、キリル文字は書けないと思うね。あちらでは別のアルファベットを使うのだ。
……仕事で疲れて、時間もなかなかないだろうが、……そういう時はこの前教えたように自分で恍惚にたどり着きなさい。
使用人部屋は一人部屋なのだろう? イコンを裏返して、私のことを考えるのだ。ルバーハをめくりあげてあの果実を自分でいじりなさい。恍惚に達するまで撫でたり揉んだりして……」
「そんな淫らなこと……できません……」
「病気の治療だと思えばいい。おまえは欲望を溜めすぎた。そういう病気にかかっているのだから。
病気なのだから、多少恥ずかしいことをしても良い……私が寝込んでいた時、おまえが唇から薬湯を飲ませてくれただろう。あれを自分で自分にやると思いたまえ」
「ああ、……ご存知だったのでございますか……見知らぬ殿方を相手に、はしたないとは思いましたが……やむを得ないと……」
アクリナが私の手を握った。
「あのときの唇は柔らかくて、冷たくて気持ちが良かった」
「……ありがとうございます」

「その時の礼と、名前が書けるようになったご褒美に、新しい文字の見本をあげようか」
私はランプを書きもの机に持って行き、インク吸い取り式のペンで、今日買ったばかりの便箋に二人の名前を書いた。
アクリナもついてきて、私が書くのをじっと覗いている。

Евгений Павлович

Акулина Николаевна

「上が私の名前で、下は読めるね」
「アクリナ……次は父称ですの?」
「そうだ」
「ニコラエヴナ。最初のほうは、見たことがありますわ……聖ニコラ様のイコンに書いてあります」
「よく気づいたね。おまえは意外と賢いな」
アクリナは少し誇らしげになった。
「では上が貴男様のお名前と父称なのですか?」
「そう」
「エヴゲーニイ・パヴロヴィチ……、貴男様のお父様のお名前も、練習すれば書けるようになるのですね……」
私は名前を書いた便箋を渡した。
「持って行きなさい」
「こんないい紙に……貴男様の文字で。ありがとうございます」
アクリナは便箋の文字をうっとり見つめている。私の名前の書き方などあっという間に覚えてしまいそうだ。
アクリナは文字自体を習ったことはなくとも、イコンに書かれた文字だの、商店の看板やリザヴェタの覚え書き、リャードフ家への手紙の宛名など、とにかくキリル文字をあちこちで目にしているはずである。
じつはもう、かなりの文字を記憶しているのではないだろうか。
練習さえすれば、存外すぐに文字の読み書きができるようになるのかもしれない。
アクリナはほんとうに楽しそうに便箋を見ていた。キリル文字の表を作ってやろう、と思う。それに、聖ニコラの簡単な伝記くらいなら今の私でも与えてやれる。

「パーヴェル様が、貴男様のお父様。お母様のお名前はなんておっしゃるのですか?」
「ナディジェダ。便箋をよこしなさい」
私は便箋を取り返し、母の名も書き込んだ。
「『希望』という意味で、前世紀の末ごろ貴族の女に流行った名前だ」
「パーヴェル様とナディジェダ様が、貴男様のお父様とお母様……」
私はついでにフョークラの名前も書き込む。「実際の母はこちらかもしれない。フョークラと読む」

「このまえおっしゃっていた魔女の? あたしに似ているという方でございますか」
「うん。気配やら体型やら立ち居振る舞い、顔つきも似ていた。そっくりというのではなく、祖先が同じ村の出身と言ったふうだ。
細面で、意外と唇が肉感的で、石榴色でね」
アクリナはずっと眺めていた便箋を、はっとしたようにワゴンの上に置いた。
「忘れては大変です」
折り目をつけぬように気をつけている。
「それほど良い便箋ではないよ。商用に使うものだ。折って構わない」
「でも、白くてきれいですわ。ほんとうにフョークラがお母様ですの? 貴男様とあたしは全然似ていないではありませんか」
「おまえにもわかるだろうけれど、領地での噂というのはしつこくてね。フョークラが妊娠しているように見えたことがある、という者もいたし」
「面白半分に話を作っているのですわ!」
「おまえは私の母がナディジェダのほうが良いのかい」
「だって、そうでなければ……、貴男様とフョークラはとんでもない罪を犯したことになります……」
「たぶん母はナディジェダだろうよ。だが、たとえフョークラだったところで子供ができたわけではない。今となってはどうでもいい」
アクリナは良くないと言いたげだったが、どうせ私にあれこれ言い返されるだけだとわかっているのか、黙っている。

「フョークラのことでよく覚えているのは……」
私はアクリナの尖った腰骨を抱いた。書きもの机からランプを持ってベンチに戻り、フョークラのアネクドート【*小話】をする。

「苺を盗んだ農奴の子供たちをみつけ、呪いをかけると脅していたのをよく覚えているよ。
目鼻立ち自体は整った女なのに、こういう時は恐ろしい形相になったな。
服の隠しから、ペチカの炉で焼いた赤ん坊の骨というのを取りだしてね。病が流行り、おまえたちもペチカで焼かれるだろうと叫びだした。
ほんとうに何かが取り憑いたように声もずっと太く低くなる。
子供たちが怖がって逃げると、苺を全部盗んで自分の小屋に持って帰ってしまった。私も子供だったが、……あれには呆れたな」
「……あたしはそんなこと……いたしませんし、できません」
私はアクリナにこちらを向かせて、細い肋骨に片手を当て、接吻した。アクリナの舌から滲んだ唾液を舐め、一瞬ののちに唇を離す。
「もし、同じことをやれと言ったらどうする?」
「ここでは……苺は採れません」
今のほんの軽い接吻だけで、アクリナの呼吸は、飢えたように荒くなっている。私はその状態の彼女を放っておいた。
「そうだね……タユータに私がチョコレートを買ってあげるんだ。
それをおまえが取り上げて、チョコレートには新大陸の悪魔が取り憑いているなどと言って、目の前で食べてしまうのはどうだ? タユータは大泣きしておまえを罵るだろうな。ヒローシャは驚くだろうね」
「そんな、……ほんとうにそんな子供みたいな、……いいえ、子供そのもののことをおやりになりたいのですか……?」
「いやそれより」
私はアクリナの始めて見るサラファンを調べていた。
「このサラファンは釦がないではないか」
「え? それがどうしたのですか? あの……脱ぎ着に不自由はございませんけれど」

「いや、フョークラと言って思い出した……」
私はアクリナにふたたび小話(アネクドート)を披露する。

「領地で父……パーヴェルが、魔女のフョークラを囲っていたと言っただろう。
ふん、私は十一歳だ。領地の森の中を歩いていたら、見たこともないこぎれいな小屋に、父の栗毛の馬が繋いであるのを見つけてね。
家の中を覗いたら、父がひざまずいている背中が見えた。
黒衣の魔女もひざまずいて、こちらを向いていたはずだが顔は見えなかった。たぶん、上を向いて顔をのけぞらせていたのか、うつむいていたのか。
父が魔女の服に手をかけ、半ば脱がせた。父の服は黒くて、髪も黒く、魔女の服も黒くて、臍まではだけた女の肌だけがやたらに白かったな。
父は片方の乳房を揉みながら、もうひとつを咥えていた」

「……あの、お気の毒に……」
アクリナが、沈痛な面持ちをしていた。目が潤んでいる。
「お子様のころのこと、さぞ驚かれて、悲しかったことでしょう……」
「いや、サラファンに釦がないと、フョークラのように前をはだけさせられない……」
「ああ」アクリナは言った。「貴男様は……あたしに悲しいお話をして、あたしを泣かせて。でもご自分はなんとも思ってらっしゃらないのですわ」
「ああ、黒い服を着たおまえが見たい。黒い布を巻きつけるのでも良い」
「黒い布は探しておきます……このサラファンでもはだけられます……。釦のないサラファンは、たっぷりしたつくりですから……」
アクリナはサラファンをまくり、顎の下まで持ち上げた。
「この前と違って、ずいぶん簡単にやるね」
「フョークラなら平気で自分でめくる……のではありませんか……」
私はルバーハの上からアクリナの胸に触れた。亜麻の薄く、しゃりしゃりとした感触を通じ、彼女が大きく長い震える呼吸をし、それに合わせて乳房が上下するのがわかった。

「……お父様は貴男様に似てらしたのですか」
アクリナがようやく言う。私はルバーハの上から片手で乳房を覆い、かすかに揺すり続けた。
「ああ、まあ似ていたよ。美男で洒落者で女たらしで、毎日、母を泣かせて……私と違って、領地の経営だけはほんとうにうまくやっていたが」
「パーヴェル様は……」とアクリナは言った。
「パーヴェル様、いえ、エヴゲーニイ様……やはりご自分のことを……美男だと思ってらっしゃるのですね……」
「事実だから仕方がないよ、フョークラ」
私はアクリナがまくりあげたサラファンの下の、ルバーハから腕を抜かせた。臍の下まで引き摺り下ろす。亜麻の上からではなく、直接素肌に触れ、てのひらで乳房を覆う。
「やっと……」アクリナの漏らした声は満足そうだ。
「キリーナ【* アクリナの愛称のひとつ】、おまえはやはり、脱がされるほうが好きなのだね」
少しの間黙りこくったあと、アクリナは思いつめた思春期の少女のような、真面目な面持ちでうなずく。素直だ。

私は今でも目に焼きついているあの光景と同じように、左手で彼女の乳房を掴み、右の乳首に舌をつける。
アクリナが溜息をつく。私はこの魔女の乳首を吸い、舐めて、硬くなった乳首の先を舌で触れる。頬をひんやりした肋骨に当てる。
背後で、子供の私がじっと見ている気がした。

続きます。


アイキャッチ画像
“Beginning of spring”
Painted by
Alexei Savrasov (1830–1897) [PublicDomain]