第12話 領主の私とただの私 2 ●

前回の続きになります。やっと情婦の料理女アクリナを、無人のかつての駐屯所跡に連れ込んだ『私』こと『商人様』、エヴゲーニイ・パヴロヴィチですが、いつもの傲然さがあまりありません。ずいぶん弱気になっています。
さいごまでの性描写があります。

8月18日から19日,1826年

「ああくそ、おまえの裸体の絵を描かせて新大陸に持っていきたい……だが、嫉妬で画家を殺しそうだ。女の画家に頼むか……?
それでも、私が死んだ後に誰かに見つかったら……? ああ、それに画家が下手くそだったら!
何にしろ間に合わない!」
私は長椅子にアクリナを倒した。
かろうじてアクリナの体にひっかかっていた薄墨色のルバーハを脱がせ、足元に落とす。

だが、……駄目だ。ほんとうに気弱だ。

私はアクリナの胸に顔を埋めていた。
「商人様……あの、エヴゲーニイ・パヴロヴィチ、どうなさったのですか?」
押し倒されながら、私の背に腕を回す。
「泣いてらっしゃるのですか?」
私はうなずいた。
「どうして……戻ってらっしゃるのでしょう。貴男様が涙を流されるなんて……」
「すまない」
アクリナが手巾をよこした。先ほど私が貸したものである。
私は顔をしかめながら、アクリナの体の脇に膝をつき、手巾で顔をぬぐった。アクリナも上半身を起こして、私の顔をじっと見る。私の目元に、手巾を当てる。

「……貴男様がお泣きになることなどあるのですか?」
アクリナも泣きはじめている。
「ああ、おまえまで泣かないでくれ」
「商人様、お目元が赤いです……」
アクリナの涙がどんどんあふれてくる。私の涙は乾き、またアクリナの涙を舐めている。
「どうして泣いてらっしゃったのです」
「いや、よくわからない。……私も、おまえがいないと寂しいのだよ」

「長老様が、世を去られたらお出かけになるのですね」
「ああ、ヘンリー卿、彼も一緒に行く。誰にも話してはいけないよ。
リザヴェタにだけ、長老様が亡くなったら出ると伝えてくれ」
「はい……どうして、その……『翻訳』というのを修道院で続けては駄目なのですか」
「修道院は理解がない。宝の持ち腐れだ。
私とヘンリー卿で話し合ったのだ。アメリカの大学の、資料の揃ったところで解読するのが良かろうということになった。
……ヘンリー卿はそのまま向こうの大学に留まり、研究を続ける」
「そうなのですか……片道でも、貴男様にお連れの方がいらして良かった。たいそう遠いのでしょう」

私はアクリナから離れ、素裸で立ち上がった。
アクリナが私の体をそっと(恐らく羞恥と罪悪感でいっぱいになりながら)、眺めているのを感じる。私は自分の毛皮外套を取って、長椅子に戻った。
葡萄酒のコルクを抜く。瓶ごとあおって、アクリナに口移しで飲ませた。
「寒くないか」
「いいえ、大丈夫ですわ」
私はアクリナに毛皮外套を掛けた。隣に座り、いっしょに外套にもぐる。

アクリナが訊いた。「ヘンリー卿はどのような方なのですか。貴男様の家庭教師だったのですよね」
「ああ、そうだね。ヘンリー卿はまあ、恩人だろうね……私は乱暴な子供だった。
十歳の時に家庭教師にヘンリー卿が来た。さいしょはやたらに背の高い、桃色の頬の、みっともない変なイギリス人が来たと思ったよ。
だが、私は彼が教えてくれるギリシャの悲劇だのギリシャ語だのに夢中になった。
私に、妙な語学の才があるのに気づいたのも彼でね……まあ、あの人に会わねば乱暴なだけの領主になっていたかもしれぬ」
「そんなに、有り難いお方なのですか……」
「うん。……私が、農奴や召使いに癇癪を起こしたりすると……、ああ、そうだ。よく料理女に悪戯をしたのだ」
「え? そのころからでございますか?」
「悪戯の種類が違う。そのころの料理女にしたのは子供の悪さだ。
丹精こめて作ったカーシャに生きた蛇を入れておいたり、包丁のある場所に、締めて羽をむしったばかりの鶏を置いておいたり……間違って掴んでものすごい悲鳴をあげていたな」
「あの……」
「『坊っちゃま、ひどうございます』と言ったきり、私に怒ることもできず、ただはらはらと泣き出してね」

「今と同じではございませんか」
アクリナが呆れている。「ぜんぜん違うよ、おまえの料理に悪戯をしたりはしてないではないか。その料理女にも、こういうことはしなかった」
私はアクリナの乳の取っ手をつまむ。
「ああ……」
アクリナは溜息をつく。私の腕をつかみ、肩にしなだれかかっている。まっすぐ前を見つめている。鏡に映った私たちを見ているようだ。

私はアクリナの体をそっと愛撫しながら話を続ける。
「料理女への悪戯ばかりではなく、ほんとうに癇癪を起こして、農奴を棒で打ったりもした。
ヘンリー卿は、そういうところに出くわすと、ただ悲しそうな顔をする。……だが、単に悲しそうな顔ではないのだ。軽蔑、というのでもなく、『ああ、やはりこの国の国民は駄目だ』、というような、未開人を冷静に見る目でね。私はそれが辛かった」

この話をどれほどアクリナが理解しているのかわからない。ただ、何らかの悲しみを感じ取っているようだ。アクリナは長椅子に座り、隣の私に触られるがままになっている。
可愛いアクリーヌシュカ、乳首が尖り続けている。

「諭されたりもしたよ。『召使いも農奴も、仕事があるのです。貴男は将来、領主として彼らを幸福にする義務がある』とね。
そんな考え方は聞いたこともなかったし、思いもよらなかった! それまで知っていたのは、領主ならば、とにかく領民から絞り上げろ、ということだけだった。
だが一番辛かったのはあの、奇妙な生き物を観察するような目だな。だから……おまえを」
私はアクリナの感じやすいところ、首筋と頤の交わる点に口づけする。「あ、ああ! 苦しいです……商人様……」
「おまえを初めて寝台に引きずり込んだときにも、ヘンリー卿の声を思いだした。『召使いも農奴も仕事があるのです』と。『貴男は将来、彼らを幸福にする義務がある』とね。
私はまあ、おまえに触れているうちに、『この女だけは好きにさせろ』、と思い始めたのだが……」
「……はい、お好きになさってください。貴男様は、あたしを幸福になど、なさらなくて良いのです……」
「いや、何を言っているのだね。できるだけのことはするつもりだが」

アクリナが突然言った。
「商人様は、向こうでも翻訳を続けなければならないのでしょう」
「……ああ、よくわかったね」
「だって、その、翻訳に対して、アメリカの大学はお支払いくださるんでしたよね」
アクリナはほんとうに、時々じつに賢い。
「私も一緒にしばらく翻訳して……、向こうの大学の人に引き継ぐのではないかな。アメリカの大学に連絡したのは私だから、その仲介料も入っている」

アクリナは悲しそうだった。
「ほんとうはずっと、そのアメリカの大学にいらっしゃいたいのではありませんか。あの、領主ではない、貴男様は」
「そんな心配をしていたのか……」
外套の下で、私の上半身を改めて密着させた。背後から乳を揉み、藁色の髪を掻き分け、うなじに口づけをする。
素裸のアクリナにもたれかかる。「あの……、重いです。商人様」
「帰ってきますよ。『Ma belle dame……私の美しい貴婦人』! もう外国は結構だ。私はどうしたってロシヤ帝国の人間なのだから」
私が売国奴になるとしても、一〇〇年、二〇〇年後のことだ。
だいたいもし、アメリカと戦争になっても何だと言うのだ。我が国はヨーロッパの憲兵と呼ばれ、しょっちゅう戦いを仕掛けているではないか。
私たちはあのナポレオンを追い払った。二〇万人や三〇万人が死んでも我が国は動揺しない。
ロシヤ人はロシヤ人を殺す。
敵をみずからの首都に誘い込んで火をつける焦土作戦すら恐れない。
アメリカ人にそのようなことができるだろうか?

「新大陸で土産を買ってくる。黒い羅紗のドレスだ。それにガーネットの首飾りと、可愛らしい黒い長靴、絹の靴下も。
それにたくさんの手巾と下着だ。ドロワーズか何か、下に履くものがいるな。いくら厚いスカートを履いていても不安だ……ここを守らせる」
私は背後から腕を伸ばし、柔らかい陰毛を撫でる。裂け目に指を滑り込ませる。石榴色の陰核をつつき、取り囲んだ襞に指を沿わせた。

「……なんて変なご心配をなさるのです。無駄遣いしては駄目ですわ」
「おまえの洋服くらい無駄遣いじゃないさ。なにか欲しいものは?」
「新大陸の女の方はおきれいなのでしょうか……?」
「知らない。行ったことがないから……いや、手は出さぬ」
多分だが。
「……あたしにできないことをなさる女の方がいらっしゃれば……やっていただいてくださいまし」
「おまえは『やきもち』を焼くのではなかったのか」
「だって、長すぎますもの。お辛いでしょう」

「私がいないあいだ、寂しかったらどうするかわかるね?」
アクリナの顔が赤くなった。「……聖なるあのお方に祈ります」
「それも結構だが、それでも寂しいときはどうするね? 体がうずくときは」
「……貴男様のことを考えます……」
「そして?」
私はアクリナから外套を剥ぎ、長椅子の上にうつむきにさせた。高く尻を上げさせる。私は左手で大きく石榴色の裂け目を開き、その中心たる穴へ、ああ、もうびしょびしょだ……。人差し指を滑り込ませた。

「え……あの、そんな、そこは貴男様のあの、あれ、あの鱒の、怪物……だけが入る……」
私はアクリナの中を指で探る。口の中のような粘膜の中を滑らせ、粒のある部分を指先で叩く。
「この中でも恍惚に達することができるのだよ。しかもこの前のものより深い」
「あれ以上の恍惚があるのでございますか? 前におっしゃってらっしゃいましたけれど。信じられません……」
「疑い深いな。帰ってきたら教える。
だから私が留守の間、寂しいとき、私のことを考えてどうするか答えなさい。さもないと心配でね」

「あ……貴男様がおられなくて寂しいとき、あたしは……、貴男様のことを、エ、エヴゲーニイ・パヴロヴィチのことを考えながら……」
私は右手をアクリナの中に入れながら、左手で彼女の膨らんだ実に触れる。はち切れそうだ。
「で、アクリーヌシュカ、続きは?」
「自分で、……慰めます」
「どうやって?」
「今、貴男様がなすっているように……あたしの指で、自分で……」
「うん。そうして満足したら鸚鵡に話しかけて、……何か飲みなさい」
「はい」
震え声で続けるのだった。
「……何故そんなにお優しいのです。普段ならば、もっと詳しく、あの……やることの内容を話すよう命じるでしょう。
あたしに恥ずかしい思いをさせるためだけに……。
お優しすぎて、悲しくなります」

長椅子にうつぶせにひざまずいて、アクリナは椅子の座面に伏せた顔をみずからの掌で包んだ。静かに泣きだす。
高々と上げさせた白い尻の間からはみ出した、石榴色の奥底の穴を、私は人差し指でゆっくりと搔きまわす。指は、次第に溢れだす透明な粘液に包まれていく。

「貴男様のお顔を見たい……です」
私はいったん指を抜き、アクリナを抱き上げ、うつぶせから仰向けにひっくり返した。
華奢だが、胸だけは重い、白い、じゅうぶん熟れていておかしくない歳のはずなのに、誰も手入れをしなかったため少女めいた、ぎこちない硬さを残した奇妙な肉体だ。
おまえの歳のおまえの仲間だった女たちは、もう子供が十人もいて、初孫すらできはじめているというのに。
【*農奴の娘は12歳くらいから結婚した】

アクリナの顔はやはり涙で濡れている。私は長椅子に載り、アクリナの両脇に膝をついた。かがみ込み、涙を舐め、接吻する。
「う……、うう」アクリナは声を立てて、また泣きだす。
「だから心配だと言っただろう。私に会うまでよく生き延びてきたな」
「偶然です。運が良かったのです……」
「無防備すぎる。とにかく私が帰ってくるまで、リャードフ家に雇われていろ。絶対に出ては駄目だ」
「はい……」

私は外套を床に落とした(これは異例だ。私は自分の服は大事にする)。
アクリナの膝を持ち、脚を開かせる。私は顔を近づけた。石榴色の部分をじっと見つめる。息がかかるだけで、膨れ、震え、悶える。
「やめてくださいませ……」
「この場所の形は、轍わだちに似ていないか? 馬車の車輪が通ったあとのように。まあ……、ほとんど私以外の馬車は通っていないはずだが……」
「馬車って……なんだか酷い例えです」
「小さくて石榴色の美しい轍だよ」
私は轍に口をつける。彼女の陰核を剥き、撫ではじめた。
「……エヴゲーニイ・パヴロヴィチ、貴男様は?」
「私は後だ」
「あたしだけ、こんな……ああ、ひどい」
広げた膝がひくついている。腰を浮かす。
夢が……好色で懐かしい夢が氾濫するように、アクリナは泣きながら恍惚に達した。

私は荒く息をつきながら、外套の隠しから、山羊の腸で作った薄い袋を取り出す。
「……それは何ですの。腸詰めに使う皮のように見えます……」
「ああ、同じものだよ……子を作らないためにつける」
私は勃起した生殖の道具に、腸の袋をかぶせた。
アクリナの脚を持ち上げ、私の肩に掛ける。そうして、腸の袋をかぶせた男根の切っ先を当てる。
「痛かったら言いなさい。少しずつ入れるから」
アクリナの子を産む穴は、狭まったまま固まってしまっている。
「大丈夫です、少しくらい痛くても、貴男様のものならば」

「私の子は欲しいか……?」
「……え? だってあたしは子を持たないのが、あの……貴男様の、あの方へのお約束ではありませんか」
アクリナは私と交わっているときにリザヴェタの名前を出すのを嫌がる。申し訳ないと思っているらしい。
「あの女(ひと)が求婚を受けてくれるかわからんよ」
「絶対にお受けになりますわ。……だって、あのお方も貴男様のことがお好きです」
「好きだけで結婚するような婦人ではない。どうせもう一度求婚するのだ。その時、条件を少し変えてみても……」
「御子はいりません。駄目です。貴男様の尊い血に、あたしなんかを混ぜては……い、痛い」
「すまない。抜こうか?」
「痛くて構わないと申しあげました……入れてくださいませ……」

狭い、よく締めつける暗い穴の奥に向け、私は腰を動かし続けた。
自分の息の荒さをみずからの耳元で聞く。アクリナの両脚は私の肩に掛けられているので、私が彼女の腰をささえ上げると、アクリナの腰も上がる。薄い腹に皺が寄る。アクリナは体が柔らかい。
これでしばらくこんな姿を見られないだろうと思う。それとも、あと一、二度できるだろうか……?

いや、多分駄目だ。長老はあと数日保たないだろうとの修道院の噂である。
私もまた泣きだしそうになる。……本当に気が弱っている。
「アクリナ、キリーナ、アクリーヌシュカ、ああ」
「はい……」

「しばらく会えないから、言っておく。
……アクリナ、おまえは何故か自分を淫らだと思っているようだが……」
「え?」
「おまえ程度は慎ましいものだ。普通だ、普通。涙は多いが」
「あの……貴男様がおっしゃったのではありませんか」
「いや、世の中にはすごい女がたくさんいてな……だいたいほんとうに淫らな女が、私と許婚殿しか知らないはずがあるか? 何としてでも、もっとたくさんの男を漁るだろう……。おまえの場合、ここ最近、私と会って……、生まれて初めて、おまえにしては淫らになっているというだけだ」
「な、何ですのそれ……」
アクリナは痛みをこらえつつも愕然としている。涙も出ないらしい。

「貴男様があたしに淫らだ淫らだとおっしゃったのではありませんか」
「ああ、いや、そうでもしないとおまえの緊張はほどけないだろう?
百人の男を誘惑して寝室に連れこんだ侯爵夫人などというのもいた。
辻馬車で乗り合わせただけで体を任せたがる女もいる。毛皮の下は裸体で、無理矢理あちこちを触らせる。いや、娼婦じゃない。好きでやっている。
下宿屋をやって、童貞の少年の味見をする女とか……」
「……そんな方たちと比べられましても……また、あたしは貴男様に騙されたのですか?」
アクリナの目が新たに潤んでくる。私は腰の動きを早める。
「うん、騙されたね……ああ、キリーナ、アクリーヌ、可愛いよ……」
私はアクリナの白い鎖骨の上に倒れ伏す。
「ひどい……」
射精後の快楽のなかで、アクリナの泣き声を心地よく聞いていた。

夜九時半には駅舎に戻り、アクリナを馬に乗せた。リャードフ家の前まで送る。
別れ際に、私が手書きしたキリル文字の、大文字と小文字それぞれ三十三文字の表と、このまえ修道院の前の土産物屋で買った、安っぽい聖人伝を渡した。
アクリナはとても喜んで微笑んだ。笑顔を見るのは二回目だろうか。

次に会うのは来年だ。


アイキャッチ画像
“Beginning of spring”
Painted by
Alexei Savrasov (1830–1897) [PublicDomain]