第37話 妻への求婚者●

不実な領主様に愛想をつかし、モスクワで舞踏会三昧で過ごしたリザヴェタ奥様。ダンスのお相手には独身だと偽り、領主様とアクリナが兄夫婦、子供たちは甥というふうに話しました。
奥様がЯ家に帰ってくると間もなく、兄夫婦に結婚の許可を求める求婚者がやってくることに。
● 最後までの性交場面があります。
今回はわりとほのぼのしています。

12月17日~20日,1830年

リザヴェタが戻ってきたのは十二月十七日だった。

先日、撃たれた傷はまだ糸で縫われたままだ。銃創のある右太腿は布できつく巻かれている。
私は、両脇に杖をついて移動していた。荷車に布を敷いて座っていることもあった。

リザヴェタが出て行き、母屋と領地の管理双方が私にのしかかってきた。
家令のアファナシー・テレージンは腰痛で寝込んでいる。
母屋の采配は女中頭のエレナ・ネクルィロヴァにほとんど頼んだ。領地の作業の仕切りは、長老のクズネツォフと息子に協力してもらい、一日一日をなんとか乗り切っていた。

領地は毎日大騒ぎだった。
倉庫に鼠が出て、春蒔き用の燕麦の種を齧り始めたから、皆が総出で鼠を退治する。
それでも食われて種の足りない家が出て来る。
被害にあった家に、『燕麦の代わりにカブを育てたらどうだ』とカブの種を仕入れて贈った。
そこでまた、カブを育てたいとか嫌だとかで家同士で喧嘩沙汰になり、若い衆が殴り合いをする。
意中の娘の取り合いも絡んで喧嘩相手どうしの恨みは深かった。
領主様は裁判もする……。

そこへ、我が領地一の色男にして牧畜の守護者フォマ・ミュリコフが訴えに来る。馬丁の誰ぞが馬車用の馬の飼い葉を、牧畜用から無断で持っていくのだそうだ。
小間使いがこの前の報償である絹のハンカチを取った取られたで、居間の床に転がって殴る蹴るの大喧嘩をする……。

私は疲れきっていた。脚の傷はいつまでも痛い。
また、ミハイルがイヴァンを虐める。
ミハイルはまだ二歳半なのに、乳母のヴィラの言うことなどもうとうに聞かなくなっている。
誰の言うことを聞いて誰の言うことは聞かなくていいのか、もう自分なりに理解しているらしい……。子供は可愛いだけではなく、狡猾で卑怯なものでもあると、初めて知った。
降誕祭が近いのにヨールカ【* クリスマスツリーのようなもの。このころ、西ヨーロッパから入ってきた】さえ立てていない。

郵便は週に二回配達される。
次第にリザヴェタ宛てに男の名で封書が来るようになった。
しかも相手は一人ではなく、何人かからだ。住所はモスクワからヨーロッパロシヤの各地……リャザンだのニジーニイ・ノヴゴルドだのから、シベリヤのイルクーツクの者までいる!
猟銃友の会にでも入ったのか? それともこいつら全員と浮気か? 考える元気もなかった。
ただ、一日でも早く帰ってきて欲しかった。母屋の家事をやってくれ。

—-

リザヴェタが忠実なヒローシャを連れ、ふらりと出て行ったのはポポフ家の反乱の翌々日、十二月八日である。十七日まで足かけ十日間、留守にしていたわけだ。
帰ってきたリザヴェタに、私は何と言って良いかわからなかった。あれだけ尽力してくれたリザヴェタを今さら怒るわけにはいかない。
それに、私は本気でアクリナと結婚しようかと考えもしていたのだ。ああ、教会で教えられる『考えるだけで罪』という考え方は非常に精神に良くないのではないか?

リザヴェタが帰ってきてくれたのは実際、ありがたく頼もしく、これではまるで彼女の労働だけ期待しているようであり、私は今、リザヴェタに愛情を持っているのかさえわからない。
そして、リザヴェタは私をどう思っていることか。

「エヴゲーニイ・パヴロヴィチ。帰りましたわ」
リザヴェタは書斎を覗いて、陽気に言った。
「留守にしていてごめんなさいね」
良心の痛みなど露ほども感じていない口調だ。
「おかえり。リザヴェタ」
私は習慣的に答える。習慣というのは有り難いものだ……。
私は習慣に沿って淡々とふるまおうと決めた。
リザヴェタは責めない。責める元気すらなかったというのが正しい。
「サンクト=ペテルブルクにも行ったのですか?」
「あちらではペストが流行っているらしいのです。ですからずっとモスクワにおりましたわ」

リザヴェタとともに杖をつきながら居間に行く。
ヒローシャが大量の荷物を運んで来る。
また恐ろしくたっぷり買い物をしてきたものだ。
食卓のうえに、次々荷物を開けていく。今、着ているのも見たことのないドレスである。
ヒローシャまで上から下まで新しい洋服だ。髪も粋に刈っている。絹の帽子をかぶり、絹のクラバットまで巻いている!

土産物も大量で、あたかもロシヤ各地の名産物を並べた市場だ。
子供たちには、ディムコヴォの粘土のおもちゃである。色とりどりに彩色した素朴な人形だ。……ミハイルには兵隊たちに馬、イヴァンには『ぶらんこ』に乗った子供たちだった。
へとへとになった女中頭エレナ・ネクルィロヴァには、漆器で有名なホフロマで作った髪留めだ。艶やかな黒地に金の縁取りを塗り、中央に白い花が描かれている。
乳母のヴィラとテレージナ夫人にはホフロマ塗りの色違いのやはり髪飾りで、赤と青の花が描かれていた。
テレージンにはオレンブルグのレースで作ったクラバットである。

「テレージンには死ぬほど説教をされましたよ。それで、彼に天罰が下りました。今は腰痛で寝込んでいます」
「まあ! では貴男がお一人で……」
リザヴェタはくすりと笑った。リザヴェタは少し生意気で意地悪だ。

「これはアクリナ『奥様』へよ」
リザヴェタは細い金鎖で留めた白いオパールの首飾りを出した。
「宝石の中の色が変わるのですわ。宝石の言葉は『無垢』だそうですの」
私は手に取ってよく見た。
「へえ。確かに見る向きによって、色がちらちらと変わりますね」
「面白いでしょう? オパールには色々な色があるから、わたくしは火のオパールと呼ばれる赤いものを」
リザヴェタは指輪にしたらしい。私に大きな石のついた金の指輪を見せる。

……いくら使ったのだろう。

「私には?」
「ああ……」
リザヴェタは素っ気なく言った。モスクワの薬局で処方されたチョコレートの粉を渡す。
「滋養に良いでしょう?」
【* 当時のロシアでは、薬物扱い】

リザヴェタは紅茶を飲みながら、留守中に届いた郵便物の束を見ている。
ヒローシャが生真面目に食卓の横に立っていた。
「ヒローシャ、リザヴェタ奥様に恋人はできたかね」
私が訊くと、ヒローシャの表情がさっと固くなる。
「え、大切な領主様、ああ……存じません。ただ、道中ご無事で、お元気で」
何か隠している……。
「私とリザヴェタ奥様では、君はもちろん奥様のほうが大切だろう」
「はい、そうでございます。大切な領主様」
即答した。
「……でも貴男様もわりと大切です」

「困ったわ……」
リザヴェタが呟いた。
「エヴゲーニイ・パヴロヴィチ。二十日の午後は空いていらっしゃいますか」
「え、いや滅茶苦茶な状態ですが……何なのです」
「アクリナ奥様は?」
「アクリナ『奥様』って、どうして彼女をそう呼ぶのです」
「……ええと、エヴゲーニイお兄様……」
リザヴェタが何を言いたいのか知らないが、ただ、私に意地悪をしたいのだけは伝わってきた。
「……お兄様ね」

「モスクワの貴族会館で、コンスタンツィン様という方と知り合ったのです。
リャザン県の地主の嫡男でいらして……それこそ花嫁を探しにいらしたのですわ」
「……はあ、それでそのコシュターシャ【* コンスタンツィンの愛称】が貴女に求婚を?」
「よくおわかりですわね。で、二十日に訪ねていらっしゃるそうですの。わたくしのエヴゲーニイお兄様と奥様のアクリナお義姉様、それに甥の坊ちゃんたちに会うために……」

「ああ……ヒローシャ、なぜ止めてくれなかった……」
「私は貴族会館の中には入れません。コンスタンツィン様は真面目で誠実な方で……、しかも熱意にあふれていらっしゃいます……」
「ヒローシャお兄様で良いではないか」
「私は異族民ですし、あの、リザヴェタ奥様より歳下です」
ヒローシャは東洋系だが、敬虔なロシヤ正教徒の信徒で、ロシヤ帝国の臣民だった。ロシヤがシベリヤを版図を拡げるに連れ、ロシヤに組み込まれた民族は数知れない。我が国は多民族だ。
だいたい、皇帝陛下からしてドイツ系なのだ。

私はヒローシャに文句を言った。
「母が違うとでも言え。突然変異だとか、三代前の当主に東洋人の夫人がいたとか……」
リザヴェタが私に言う。
「ほら、口からでまかせを言って誤魔化すのはやはり貴男様でないと」
「ああ、コシュターシャとの結婚を承諾せよというのですか?」
「承諾してとは言いませんけれど……。
まさか押しかけていらっしゃるとは思いませんでした。断るにも、手紙は間に合わないでしょうし。
それに、貴男とコンスタンツィン様が並んでいらっしゃるところを見てみたいのです」
「どういうことです?」

「コンスタンツィン様は貴族会館ではとても素敵でしたわ。でもこちらではどうかと思って……。
貴男様を基準にしたらどのくらいかしら」
「基準ってねえ。……リーザ。私が悪かったからもう勘弁してください」
「あら、でも、お客様には『パンと塩』【* もてなしのこと】でお迎えしないと」
「どんどんひどい人になっていくな……」
「貴男はお会いして一週間も経たないうちにひどい人に変わってしまったではありませんか。最初は優雅で潔癖な方だと……潔癖ですって!」
自分で言って、自分で大笑いする。

「ああ……」
私は思わず食卓に肘をつき、髪をかきまわした。
リザヴェタは楽しそうだ。
「ああ、リーザ、貴女は私とリャザンのコシュターシャを天秤にかけるつもりですか?」
……私は天秤にかけて、アクリナを取ろうと一度は決意したのだ。

リザヴェタが言う。
「別に。ただ、貴族会館でたくさん踊って、名前を聞かれたから答えて……夫がいると言うと無粋かと思って、……それにそうすると逆に気楽に言い寄られますから。
まあ、独身ということにしたのですわ。兄夫婦と甥たちと暮らしているとお話しました。
この程度の他愛のない遊びに、貴男様が文句を言えまして?
ねえ、隣の小間使いを血まみれにした方!」
「血まみれは単に偶然です」
(たぶん、着替えの時についたレフ・ポポフの血がほとんどだ)

『血まみれ』の語にヒローシャがぎょっとしている。……十字まで描いている!
「あ、あの、大切なリザヴェタ奥様、領主様。私はこれで失礼いたします……」
「待て、ヒローシャ、血まみれというのはな……」
「どうなさったのです? 汚れのない乙女でしたの? それとも月のものの最中かしら。
もしかしてお得意の鞭をお振るいになったの?」
ヒローシャが怖がっている。
「ああ、いえ。そんなのではありません。隣の小間使いが生きた鶏を持ってきたのです。鶏料理を作りたいけれど、慣れていなくて怖いから締めてくれと頼まれましてね。解体まで手伝いました」
「よくそんな出鱈目をおっしゃいますわね」
「事実というのは思いもかけない意外なものですよ……」

—-

十二月二十日の午後になった。
コンスタンツィン・ヴァシリエヴィチ・ダルハノフがほんとうに訪ねてくる。
いったいどうしたものか……。
嘘を吐いたのはもちろん全面的にリザヴェタである。コシュターシャ・ダルハノフには、平謝りに謝るしかない。
さもなければ決闘でもさせられるのだろうか。私は決闘などまっぴらだ。
ダルハノフはタタール人の戦士の称号から来た名字だろう。強そうな名字だ。古い家には、タタール人由来の名字の者も多い。チャーダーエフもクトゥーゾフもそうだ。

リザヴェタによると、コンスタンツィン・ダルハノフには、私とアクリナが兄夫婦だと話したのだそうだ。だから二人で夫婦として迎えて欲しいという。
アクリナにそんなことをやらせるのは無理だ、と私は止めた。
が、アクリナ自身がただ座っていれば良いのならば大丈夫だと呆気なく承諾した。
ドロシダが言ったのだそうだ。
「アクリナ様、貴女様を一日でも『奥様』扱いなさろうというのは、リザヴェタ奥様のお詫びではないでしょうか。だから出席なさった方がよろしいかと存じますわ」

アクリナは昼食後に、ドロシダとともに母屋に来た。
リザヴェタの土産である、無垢の証の白オパールの首飾りを掛け(これもリザヴェタなりの詫びと見舞いなのだろう)、ドロシダに流行の形に髪を巻いてもらっている。
髪を三つに分け、左右の髪を縦に巻く様式だ。こんなアクリナは初めて見た。まったく似合わないというわけでもないのだが、流行の姿のアクリナとは、何か妙な感じがする。

居間の食卓で相談をする。サモワールはもうちゃんと用意されている。
リザヴェタが言う。
「ええと、エヴゲーニイ・パヴロヴィチと私が兄妹です。
アクリナさんはエヴゲーニイ・パヴロヴィチの奥様でミハイルとイヴァンはお二人の子供。私が結婚していなかったのは、結婚が遅いお兄様を心配していたから」
「……あの、リザヴェタ奥様」
アクリナが言った。
「リザヴェタ奥様なんて呼んでは駄目よ。今日は貴女がアクリナ奥様なのよ」
「はい。ああ……。いえ、そのダルハノフ様はリザヴェタ様の父称はご存じなのでしょうか。ご兄妹で父称が違うのは」
「ああ、そうねえ。ダルハノフ様はわたくしの父称をご存知です。だから、エヴゲーニイ・フョードロヴィチね」
アクリナが呟く。「……絶対に間違えますわ……」
「だからゲーニャと呼べと」
「あの、それで、リザヴェタ様、いえリザヴェタさん、もちろんお断りになるのですよね。でしたら初めからエヴゲーニイ・パヴ……フョードロヴィチが旦那様だと言ってしまえば……」

リザヴェタが駄々っ子みたいに言う。
「つまらないではありませんか!
それに断るとは限りません。
お二人に並んでいただいてやはりコンスタンツィン様のほうが良かったら……ああ、どういたしましょう!」
「そんなことはあり得ません……」
アクリナが言う。ああ、さすが私の妻……(今だけ)

私は母屋の使用人たちに言う。
アクリナの肩に手を掛ける。
「ああ、いろいろ事情があって、今日のお客様に対しては、この人を『アクリナ奥様』と呼べ。
今日はこの人が私の妻だ。リザヴェタは妹で『お嬢様』だ」
「は、はい」
使用人たちがざわついている。
(この前、台所を手伝っていた方ではないの?)
(アクリナなんて名前の貴族の奥方がいるわけがないじゃない)
(旦那様より年上ではないの?)
うるさい。

「リーザ、何を企んでるんです」
私がそう訊いても、
「何も企んでなどいません」としか言わない。

コンスタンツィン・ダルハノフが到着した。辻馬車だ。
正門からヒローシャが案内してくる。
玄関の間の階段から登ってきたのは、いかにも育ちの良い領主の嫡男だ。
私も育ちが良く優雅で上品なのだが……。疲れた私に比べ、ダルハノフは、はるかに初々しく瑞々しい。
まあ美男なのだろう。二十代後半か? もう少し若そうだ。同じ年代だったレフ・ポポフの傲慢さを思い返すと、はるかに謙虚で清らかな青年に見える。
甘い下手くそな詩を書き、見事なヴァイオリンを弾くそうだ。詩人らしく伸ばした黒髪には、一本の乱れもない。

私とアクリナ奥様、リザヴェタお嬢様で出迎えた。
コンスタンツィン・ダルハノフは優美にリザヴェタの手にキスをし、もしや将来の義姉になるアクリナ奥様の手にも心を込めた接吻をする。

「実に美しい奥様ですね」
私に言う。
「エヴゲーニイ・フョードロヴィチ、お目にかかれて光栄です」
「ダルハノフ殿、こちらこそ妹がモスクワで楽しく過ごさせていただいたようで、ありがとうございます」
ああ、私は何をやっているのだろう。アクリナが緊張しているのがわかる。
「今日はお兄様ご夫妻にお話があって参りました」
求婚か? 妻に求婚されるのか……。感慨深いものがある。
「まあ、お入りください」
私は杖をつき、アクリナに支えられて歩いている。
コンスタンツィン・ダルハノフが訊く。「脚がお悪いのですか?」
「いえ、先日、怪我をしまして。このまえ、隣の農奴反乱に巻き込まれて、猟銃で撃たれたのです。たいしたことはありません」

私たちは食卓についた。
昔ながらの、男女が両列に分かれる座り方だ。私とダルハノフ、アクリナとリザヴェタでそれぞれ並ぶ。
コンスタンツィン・ダルハノフは婦人にとって魅力的なのだろうか? 美男だが、あまり色気がない……と思う。
「僕はリャザン州の地主貴族の嫡男です」
コンスタンツィンが言う。小間使いが紅茶を入れて配っている。それに野苺のジャムだ。
「農奴は千人いて、主にライ麦と燕麦を作っています」
「それはすごいですね」
「いいえ、僕の力で得たわけではないのですから。
早速本題に入らせてください。
この前、リザヴェタ・フョードロヴナに求婚いたしました。彼女の返事は、兄に相談してから、とのことです。
今日はお兄様ご夫妻にお許しを願おうと……」

本気ではないか……。
冗談好きの若者と知り合って、リザヴェタが悪ふざけをしているのかと思っていたのに……。

私とコンスタンツィン・ダルハノフの一問一答が始まる。
「ええ、あの、ダルハノフ君。リザヴェタのどこが良いのですか」
「生き生きして美しいし、聡明な方です」
「婚期をだいぶん逸していますが……」
「ですが、僕とほぼ同じ年です。それくらいの方のほうが落ち着いていて、僕を導いてくれると思うのです」
リザヴェタが私とダルハノフを交互に眺めていた。あからさまに私たちを比べている!
リザヴェタが言った。
「コンスタンツィン・ヴァシリエヴィチ。エヴゲーニイお兄様とアクリナお義姉様も、アクリナお義姉様のほうが年上でいらっしゃるのよ」
「とてもそうは見えません。アクリナ奥様はお若くお美しいですね」
アクリナが若く見えるいっぽう、私は老けてきている。

「ダルハノフ殿、リザヴェタは少し意地悪だが、それでも良いのですか」
「え、ええ」
「あら、それはお兄様に対するときだけですわ」

落としどころはどうするのだ……。リザヴェタはまさか私を試しているのか?

コンスタンツィン・ダルハノフはあくまでも真面目で、ヒローシャと同じくらい目がきらきら輝いている。
「エヴゲーニイ・フョードロヴィチ、それにリザヴェタさん。お二人のご両親は早く亡くなられたとうかがいました」
リザヴェタはしとやかに答える。何かいつもと態度が違う。「はい、それで四つ年上の兄が父代わりのようなもので、兄が結婚するまで、とても嫁ぐ気になれませんでしたの」
「そんなお兄様もついに運命の方を見つけ、ご結婚なさったと」
私はダルハノフに言う。「まあそうです。……ああ、妻は少々人見知りをいたしますので、黙っていてもお許しください」

ダルハノフが少し声を潜めた。
「エヴゲーニイ・フョードロヴィチ、実はです。リザヴェタさんはお辛い目に遭われておりまして」
「え? は、はあ」
「結婚を誓った恋人がいたらしいのですが、その人が大変な浮気者で……僕はですね、騎士道精神に則ってそんな人物は許せない」
西ヨーロッパかぶれか。鬱陶しい。
「兄上殿はご存じでしたか」
「いえ、初耳です。どこのどんな男ですか。まったく怪しからぬ」
「何年も前からリザヴェタさんを妻にすると言いつつ、愛人を囲ったままで、結婚するなら堂々と愛人もいっしょにと言うのだそうですよ!
いかがわしい場所に出入りする、隣の小間使いと浮気をして血まみれにしてくる……、いったい何をして血まみれにしたのでしょう!
そのくせ、結婚まで純潔を守ろうとするリザヴェタさんに『純潔を尊重します』といいながら、いろいろといやらしいことをすると……」
「それはひどい男ですね」
私は溜息をついた。

「え! リザヴェタ……さんにそんなひどいことをなさった方がいるんですの!?」
アクリナがほんとうに驚いている。アクリナ……それはおまえの恋人(今だけ夫)のことだ。
「それだけではないのですわ、アクリナお義姉さま……、平手打ちまでされて……」
「ひ、ひどいですわ。もしかしてダニイル様ですか!」
「え、違うわよ……」
そういえばそんな男がいた。
リザヴェタが生まれた時、親同士が決めた婚約だ。
少々頭の足りない男であった。
……ああ、アクリナは私の知らないリザヴェタを知っている。逆もそうだ。
二人がシベリヤのリャードフ家でいっしょに暮らしていた五年間を私は知らない。

リザヴェタがアクリナに言った。
「違いますわ、お義姉さま。ダニイル様は親同士の決めた婚約者。まったく合わないので婚約解消いたしましたわ。別の方ですの……」
アクリナが、すぐに何もかも本気にする馬鹿正直な女であることを忘れていた……。
案の定、ダルハノフが訊く。「アクリナさんは、リザヴェタさんを前からご存知だったのですか?」
「はい、あの、リザヴェタ様の……」
『料理女』と言いそうだったので、私が遮った。

「アクリナの父母はアルハンゲリスクに広大な領地を持っておりまして、ええ、親の代からうちと多少の取引をしておりました。М子爵の娘です。
М子爵は質実な方で、農奴の恩を忘れてはならないと、わざわざ『アクリナ』という農民のような名前をつけました。
ラテン語で『鷲』という美しい名前ですしね。
しかしやはり娘は可愛かったのでしょう。
母上のニーナ・セルゲイエヴナはつい溺愛してしまい、蝶よ花よと育てられまして、おかげで内気で人見知りに……」
「エ、エヴゲーニイ・パ……ああ、ゲーニャ様、ど、どうしてМ子爵のことを……」
「妻の身内を知らないわけがないだろう……まあ、そんな育ちなので少々浮世離れもしています。リザヴェタはアクリナを引っ張り出しては遊んでとねだったものです」

「アルハンゲリスクのМ子爵のお屋敷、まあ懐かしい……」
リザヴェタも適当にあわせている。
ダルハノフが言った。
「お三方とも、子供のころから仲が良くていらしたのですね。いや、羨ましい。
アクリナ奥様のお名前は、失礼ながら少し不思議に思っていたのです。そういうご立派な父上様の信念からとは……。
もし、僕に子ができたら、そのように名づけるのも良いかもしれません。……できればリザヴェタさんとの間に」
もしかするとダルハノフは、ほんとうに善良な男なのではないか……。
兄としては結婚を許すべきではないか……いや、私は兄ではない……申し訳なくなってきた。

話題は、リザヴェタと結婚を言い交わしたのに他の女と遊んでいる非道な男のことに戻っていた。
コンスタンツィン・ダルハノフが、怒りに拳を震わせて語る。
「話を聞いただけで許しがたい……リザヴェタさんに求婚する前に、まず、その男に思い知らせないとなりません。いざとなれば決闘も辞さない覚悟で参りました」
「……領主の嫡男が決闘などをしてはなりませんよ。領民が困る」
ダルハノフは意外そうな表情をした。たいていの若い貴族は名誉を重んじる。
名誉などより、実利を取れという私の意見は、考えもつかないほど卑怯としか聞こえなかっただろう。
「……ところで妹にそんな相手がいたとは初耳なのですが……」
リザヴェタが言う。
「……お兄様の幼な友達、レオニード・バシュキロフ様です。秘密にしておりました」
「ああ、あいつか! それは許せない。ダルハノフ君、貴男のご意見は彼にすべて伝えますから、どうぞ私におっしゃってください」

どうしてこんなことをしているのだろう……。
「リザヴェタさんにつきまとうのは即刻やめていただきたい、これがすべてです!
もし、別のご婦人と結婚することになれば……、悔悟してからでなければ相手の方がお気の毒です。
ほんとうに正教徒ならば結婚の機密は守るべきですし、だいたい婦人を泣かせるのなど、最低ではありませんか。ご婦人の涙は、美しい花や鳥を見たときのためにあるのです。
それに信頼できる妻は大切な友でもあります。友を裏切って家庭を地獄にしていったいどうするのでしょう!」
私も深くうなずいた。
「バシュキロフにも困ったものです……。
相も変わらぬ娼館通いに、この前は商家のお嬢さんたちを騙して舞踏会に連れていって散々踊っているのを見ました……その後、お嬢さんたちをどうしたのか神のみぞ知るところです……」
【* 第33話 灰かぶり姫たちの舞踏会』参照】

私は話し続ける。
「まあ、私も若い時は放蕩めいたことをまったくしなかったとは言いません。
ですが結婚してすっかり改心しましてね。
まったく……放蕩の刹那的な快楽など、家庭の幸福に比べれば取るに足りませんね!」

「ダルハノフ君、妹のリザヴェタは、お恥ずかしいのですが、たいへんなお転婆で……。
趣味は乗馬に猟銃を撃つこと……あの、従僕のヒローシャはご存知ですか」
私は居間の端にいるヒローシャを目で指した。
「はい、東洋系の異族民の……先ほども案内してくれましたね」
「彼はもともと猟師だったのです。
ヒローシャはリザヴェタに忠実に尽くしてくれます。
それを良いことに、我が妹は、ヒローシャに猟銃や乗馬を教えさせました。ついには私と三人で猟に行くように……。
貴男は見事にヴァイオリンをお弾きになり、詩人でもあるそうですね。
リザヴェタは芸術にはまったく興味がないようです。詩も小説も読みません。本当は将来は近衛の将校になりたかったそうで……」
「そういう溌剌としたところが素晴らしいのです!
男勝り、お転婆、ああまったく、毎晩リザヴェタさんが僕の夢に出ていらっしゃるのです。ダンスのなんと素晴らしかったことか。
猟が好きというお話はうかがいました。
結婚をお許しくださればヒローシャ君もついてきてくれるということですから、僕も猟のやり方を習いましょう!」
……偏見のない良いやつではないか? ああでも人手が足りないのだ。ヒローシャまで持っていかないでくれ……。
私は居間の端で立って待機している(あるいは聞き耳を立てている)ヒローシャを睨んだ。
ものすごくすまなそうな顔をしている。

コンスタンツィン・ダルハノフはうっとり続ける。
「ええ、それに感動したのは、降誕祭にコリャーダを待つのではなく、領主のご一家が贈り物を持って農奴の家を一軒一軒回るそうですね。しかもリザヴェタさんの発案だとか!
僕は農奴解放論はまだ早いと思うのです。農奴にはまず、温情を持って接することが大切ではないでしょうか」
「ああ、お若いのに落ち着いたお考えですね」

ダルハノフが熱っぽく喋り続ける。まあ、……なんというか、可愛いのではないか?
「僕の家にはまだ結婚前の妹が三人おりまして……彼女たちは、しなを作って、お洒落にばかり浮身をやつして……、リザヴェタさんは妹たちにも良い影響を与えることでしょう!」
リザヴェタと三人の妹たちが対決するところが目に見えるようだ……。

リザヴェタは澄まして言った。
「で、エヴゲーニイお兄様、アクリナお義姉さま。ご結婚はお許しくださいますの?」
「結婚をお許しいただく前に、僕はバシュキロフでしたか……その男と話をつけたい」
なんて律儀な青年だ。
「いやダルハノフ君、彼は私が結婚を決めたといえば諦めますよ。リャザンにまではとてもついていけないでしょうし」

私は目の前のアクリナに訊いた。
「アクリナ奥様、何かダルハノフ君に質問は?」
「そうですわ。アクリナお義姉様も何かお尋ねしてみてくださいまし」
「はい奥様、何でも尋ねてください」
アクリナが緊張した声で尋ねた。
「あ……あの、ダルハノフ様、領地には千人の農奴がいるそうですが……農奴の恋人はいらっしゃいませんの?」
「アクリナ奥様、おとなしくていらっしゃるのになんてまっすぐな質問をなさるのでしょう!
僕もまったく正直に答えます……僕の初恋は農奴の娘でした。十代の時です……。彼女と結婚すると息巻いて両親を困らせました」
「まあ、エヴゲーニイお兄様と同じですわ。結婚するとは言わなかったみたいですけれど」
「そしてどうなりましたの?」
子爵令嬢のアクリナ奥様が訊く。
「別れさせられて、彼女は遠くへ売られ、僕はプロイセンに留学させられました。彼女は純朴な人でした。会うたびに毎回、ブローチだの布地だのといった、安物の贈り物で大喜びして……」
ブローチも布地も農奴にはまったく安くないのだが……。
善良な青年だが、騙されやすすぎる。
少し自己陶酔する。もし結婚したら、我が妹リザヴェタには物足りない、あるいはいい玩具であろう。

さて、家長の私は妹の求婚者に宣言しなければならない。
なるべくこの青年を傷つけないようにだ。
どうせ私が悪者になれば良いのだろう。
「ダルハノフ君、貴男のような誠実な方が妹に求婚してくださってたいへん嬉しい。
ところで、我が国の悪習のひとつに契約違反に対する無頓着や遵法精神のなさが挙げられると思いますが、貴男はいかがですか」
「は、はあ。どういうことです?」
突然話が変わって戸惑っている。
「結婚の際に、私は契約書を作りました。で、」
私はアクリナを指差す。
「……この寛容な妻は受け入れてくれました。妹との関係を続けるけれどそれを承知のうえで来てくれと」

ダルハノフはただ不思議そうにしている。
「……妹との関係……?」
「ああ、……貴男とリザヴェタが結婚しても、私はリャザンまで出かけ、リザヴェタと褥をともにするということです。ついでに気に入ればおたくの妹君たちも……」
「は?」
人は自分が理解できないことは耳に入らないことがしばしばあるようだ。
「ああ……ダルハノフ君、私の妹のリザヴェタと結婚は許可します。
ただ、年に三回くらい抱きに行かせろ、ついでに旅費も出してくれ。
年に半年くらいはこちらで家事をやらせろ。
あとヒローシャは置いていけ、ということです」
「……冗談でしょう?」

「ヴィラと子供たちを呼んでくれ」
私は小間使いに言いつける。
乳母のヴィラが来た。駆け回るミハイルと指をしゃぶるイヴァンを抱いている。
「アクリナ奥様……」
ダルハノフが言った。
「可愛らしいお子様ですね」
ミハイルが「おかちゃま」といって当然リザヴェタに飛びつく。
イヴァンはずっと泣き続ける。
「ヴァーニャ、おいで」
リザヴェタはイヴァンを呼んで抱いた。泣き声がピタリと止む。

「アクリナ奥様、貴女のお子様ではないのですか?」
「……ええ、あのお二人のお子様ですわ……」
ダルハノフはあきらかに恐れをなしている。
「……良いのですか? それで」
「はい。そういう約束でついてきたので……。あの、ダルハノフ様、わざわざ来ていただいたのに、たいへん申し訳ありません。
……ドロシダ、持って来てもらえます?」
「はい、アクリナ奥様」
ドロシダが、布に包まれた重そうな物を抱えて来る。大きさは牛の頭くらいあるであろう。ヒローシャが慌てて手伝いに行った。
食卓の上に置くと、ごつんという音がした。硝子瓶のようだ。
ダルハノフが訊いた。「……これは?」

アクリナが答える。
「キノコのマリネです。キノコの栽培からあたしがしました。よろしければ、リャザンへのお土産に……」
「は、はい……」

私は滔々と自慢げに語る。
「アクリナ奥様はキノコの栽培の本を読んで、自分で全部育てたのですよ。
菌床の馬糞集めから、収穫まで。もうキノコ小屋が二部屋くらい建っている。素晴らしい妻と妹がいて私は幸せです……で、どうします。妹と結婚しますか?」
「エヴゲーニイ・フョードロヴィチ、貴男は滅茶苦茶な方だ。貴男が幼い妹君を無理に誘惑したのでしょう!
そのうえで平然と奥様をお迎えして……」
「ああ、私のせいですか。ではどうするのです?」
「子供たちを引き取って……、リザヴェタさんと結婚します」
「わりと粘り強いですね。見直しました。コシュターシャ」
「勝手にコシュターシャ呼ばわりしないでいただきたい」
「せっかく来てくださったのに申し訳ない。妻も妹も私のものです。
あ、……決闘はお断りです。私は私の女たちと領地と農奴を守る義務があるので」

突然、リザヴェタが私の隣にきた。
「アクリナお義姉さまもいらして」
「は、はい」
アクリナが来る。
リザヴェタが言う。「素敵なお兄様、口づけしてください……」
「はい、可愛い妹」
私はリザヴェタの腰を抱き、深い接吻をする。妹は溜息をついた。
「次はアクリナお義姉さまにもしてさしあげて……」
私はアクリナの細い背に手をまわす。大きく胸元の開いた黒いドレスにかけた、白いオパールがとてもよく似合う。
「美しい私の奥様……接吻を」
「え……ここでですの?」
「アクリーヌシュカ、貴女は私の言うことを聞くのが幸せなのでしょう……」
「は……はい」
「ここで私に今すぐ抱かれろと言ったら、抱かれるでしょう?」
「はい……エヴゲーニイ・……フョードロヴィチ」
台所の者も、紅茶茶碗を替えに来た小間使いも、ヒローシャも皆、呆然と私とアクリナを見ている。乱暴なミハイルも動きを止めていた。イヴァンを抱いたヴィラも、リザヴェタもだ。
私はアクリナ奥様には軽く唇を合わせるだけにした。

唐突に、リザヴェタが台所に向かって厳しい声を出した。
「いいこと、アクリナ奥様にとやかく言わないで!
エヴゲーニイお兄様はアクリナ奥様が大好きなのですから、それを忘れたら領主様に逆らうことになりますよ!」
軍隊の指揮官のように豹変したリザヴェタに、コシュターシャ・ダルハノフが驚いていた。
私は続ける。
「そして、領主は妹のリザヴェタも大好きで……おまけに頭が上がらないのですよ」
誰かろくでもない噂をする者がいるのだろう。その召使いたちに思い知らせるために今日の機会を利用したのか?
ということは、コシュターシャ・ダルハノフも私も、リザヴェタに利用された気がする……。

ダルハノフが気の毒になった。
「コシュターシャ、スモレンスクで一番の娼館を紹介しましょうか?」
「結構です!」
「コシュターシャ、女たちは差しあげるわけにはいきませんが、貴男は気に入りました。良い領主になってください。
スモレンスクに来たらまた遊びにいらしてください。
……ああ、いや、リャザンはタタール人が攻めて来た時たいへんでしたねえ」
「スモレンスクこそ、ポーランドやリトアニヤに取られたり祖国戦争の時ナポレオンの通り道になったりで、まったく苦労が偲ばれますよ!」
リザヴェタが魅力を振りまいて『ごめんなさい』と笑う。
「もう失礼します……」
疲れきった様子で、コシュターシャ・ダルハノフは帰ろうとした。アクリナ奥様が呼びかける。
「あの、キノコのマリネを持って行ってください……」
ダルハノフのあとを、瓶詰めを抱えたヒローシャが追って行った。

アクリナは、ドロシダに連れられて森の家に戻って行った。

—-

私とリザヴェタは寝床に入るまでだらだらと喋り続けた。リザヴェタと話すのは楽しい。
多分私たちの間柄は、男女の愛情云々というより、ただとても仲が良いのだ。……それで済むならば良いのだが……。
寝室のペチカも燃えているし、リザヴェタも帰ってきた。私はほっとしていた。

寝台の上でリザヴェタが手を伸ばし、私の右手をそっと握った。柔らかな手だ。
色の濃い髪をほどき、ペチカと角灯の火で、濃い栗色の髪も、浅黒い肌もオレンジに染まり、ふっくらした唇や、鼻筋に濃い影ができて揺らめいていた。
「リーザ。私はまだ右脚が痛い。だから貴女がこちらにいらっしゃい」
私はリザヴェタの手を引いた。
リザヴェタは寝台の上を転がるようにして、私の腕の中に収まった。くすくす笑っている。何がおかしいのか知らないが、とても陽気だ。

私はリザヴェタの髪をかきあげる。
右脚の膝を寝台につけ、リザヴェタに覆いかぶさり、接吻した。エヴドキヤとの時とは違い、感覚は元に戻っている。私はリザヴェタが好きなように、上唇の裏をそっと舐めていく。
「……新鮮味はないけれど、やっぱり素敵……」
「……あのですね……。ええ? 脚が治ったら新鮮味を感じさせてあげましょうか。いっしょに猟に行って、雪の中、猟師小屋で……」
「あら、どんなに場所を変えようと、お相手が貴男なのは変わらないではありませんか」

夜着も新しい。……誘っているのだろうか?
サラファンに似たかたちで、胸元が大きく開き、前びらきの打ち合わせを、包みボタンで上から下まで留めるようになっている。そのうえ、胸から腰までおそろしくぴったりしているのだ。
太腿から布地が増え、フラメンコの衣装のようにスカートが広がっていた。
「私を挑発しているのですか? 脚が痛いし大したことはできませんよ。お兄様ですしね」
私は夜着の胸元のボタンを二つ外す。
ふん、接吻だけで興奮してはあはあ言っている。乳頭は尖りきっていた。イヴァンを生んで七ヶ月、まだ乳も出る。私は乳を舐めとる。「あ……」リザヴェタが呻いた。

「コシュターシャとは接吻くらいしたのですか」
貴族の令嬢たちは、純潔でないとならない。
結婚してしまうと、わりといい加減になるのだが……コシュターシャも、リザヴェタに求婚するくらいなら手は出していないだろうが……。
「いいえ、お会いになってわかったでしょう?
お兄様、貴男とは全然違う方です。手の甲に礼儀正しい接吻、それだけ。ダンスがお上手で……しかもいやらしく体に触れたりなさいません」
一言一句が私への当てつけだ。
「そういう妹君もですね……。そんな夜着を買ってきて……お兄様を惑わせようというのが見え見えです。脱がされるための服でしょう」

「あら、でも、お隣の小間使いはこんな格好をしていなかったのではないかしら?」
「ああ、まあ良い。……あの小間使いとはもう終わりです。一度きりだからと頼まれました」
私はリザヴェタを抱きしめ、怪我をした右脚を上にして横向きになった。脚が痛い……。
「まあ、……お優しいこと。わたくしを娶ってくださったのも、哀れなほど乞い願われたからでしょう?」
「ではそういうことにしておきましょう。リザヴェタ、結婚してあげたのだから有り難く思ってください」
私はリザヴェタの夜着の釦をなおも外していく。素晴らしい速度で茹で卵の殻を剥くように裸体にする。
夜着を寝台の遠くに投げた。

「なんでそんなに……脱がせるのが早いの……わたくしの着替える速さより……」
「妹よ、少しおしゃべりが多いですよ」
久しぶりのリザヴェタの熱い滑らかな、油を塗ったような肌の感触が心地良い。細い胴と豊かな胸と腰をした、チェロのように見事な曲線を揉みほぐすようにしてしつこく撫でる。
リザヴェタが深い溜息をつく。

「誰がお兄様だって?」
私はリザヴェタの丸い尻に、てのひらを吸いつけるように押し揉んでいく。
「私がコシュターシャに『兄として妹をよろしく』と言って引き渡していたらどうするのです。今度はリャザンで領主夫人をやるのですか」
「哀れなほど乞い願われて結婚してくださったのに。そんなひどいことをなさるの」
「コシュターシャが哀れなのだが。ひどい女に騙されて、スモレンスクまで無駄足を……」

私はつい、リザヴェタを抱き寄せたまま、彼女の片足を持ち上げ、内腿を撫でようとした……。膝が傷跡に当たる。
「痛っ」
「だ、大丈夫ですの」
リザヴェタは身をさらに寄せてくる。
「……痛い……続きはまた今度……」
「ええ!? そ、そんな……」
「ふん、貴女も淫らになりましたね。残念ながらまだ続けられますよ」
「え、あ! ああ……モスクワで礼儀正しい人に囲まれていたから……、
あ、貴男の遣り口を……忘れていました……」
頬が紅潮している。やはりきれいだ。

私は右手を取り、甲に接吻する……舐めまわす。
「コシュターシャの礼儀正しいキスなんて舐めとります」
私は手の甲を舐め、小さく優しい指一本一本を口に入れた。少し塩味がする……関節の腹を舐める。「可愛い指だ」
「……な、なんでそんな……ところ」
リザヴェタの手から力が抜けていく。

横向きに抱き合ったまま、リザヴェタの体を撫でていく。
「貴女の堂々としたお尻の割れ目から、私を受け入れたいと透明な液が垂れていますよ」
「あ、ああ……も、もう。そんなことおっしゃらないで……」
「貴女の裂け目にもまったく触れていないのに……」
「……焦らさないで……、あ、貴男だって……」
リザヴェタはローブの上から私の硬くなった器官をさっと撫でる。「脱がしたくて、じかに触りたくて……ですか」
「あ、や……ど、どうしてそんなに……」
「貴女の願いを代わりに語っているだけですよ」
「ああ、もう、はい。お兄様。そのとおりですわ……」

リザヴェタは私の体をそっと仰向けに戻し、腰を浮かせてまたがった。荒く息を吐きながら、私のローブの帯を解く。
リザヴェタの脚の間から、私の臍に透明な粘液が垂れてくる。まったく触れていないのに!
「あ……、起ち上がって……、貴男の……」
「妹君、兄のものは好きですか?」
「……え、ええ、お兄様」
「今回の旅で他の男のものは見ましたか?」
「ま、まさか……」
「比べていただけるとなお良さがわかるのにな……。舐めてみてもらえませんか」
「……ええ?」
そういえばリザヴェタにはやってもらったことがない。
「そんな、娼婦ではあるまいし……」
「十日近くも家出して舞踏会で紳士連中を惑わすような妹を娼婦というのではありませんか? お金も取れそうですね」
「……あ、もう。執念深い方! 忘れて許したふりをして、いつもいつも……」

「リーザ、貴女の脚を私のほうに向けて……私の顔の上にまたがって……」
「……そ、そんな……」
「触れられもしないで、男のための液をだらだらと滴らせて何を言ってるのです。その格好をしてくれないと、私は貴女に触れられません……怪我人ですから!」
「そ、そんなの嘘ですわ……」
リザヴェタは乳房を私の腹にこすりつけてくる。
「ただ、お手を伸ばせば良いだけではありませんか……あ、貴男はわたくしを焦らしているだけ……エヴゲーニイ・パヴロヴィチ……」
「愛しい妹君、やってください」
「は、はい」
反射的に返事をしてしまったようだ。

「信じられない……こんなことをさせるなんて……」
両手と両膝をついて、リザヴェタは獣のように寝台の上を移動する。アムール虎のように……。
「ああ、その格好は良いですね……」
本当に私のものを手に取った。
「キノコで言ったら傘の部分をそっと舐めてください。歯は立てないように……」
「……は、はい」
リザヴェタの豊かな髪がばさりと落ちて、私の下腹部を撫でる。
丸い尻が恐る恐る近づいてきて、私の顔をまたいだ。
琥珀色から深みに向かうにつれ赤みが増す裂け目から、透明な粘液が溢れた。後から後から滴り落ちてくる。
「よく膨らんだ『ヴィーナスの丘』、大ぶりの……いかにも感じさせろと言わんばかりの果実……」
「あ、……あ、お兄様、説明しないで……もう、焦らすのはやめて……は、早く」
「早く、ですか」
「……お願いです。早く触れてくださいまし……」
「貴女の貝殻が誘い込もうと閉じたり開いたり、中に隠しているのは真珠か猛毒でしょうか……奥深く神秘的な洞窟の入り口が」
「下手な詩なんかやめてくださ……あ、う、……」
「いや別に詩では……」

私は腕を伸ばしひくひく動く洞窟に指を入れる。婦人の体の中はやはり奇妙で興味が尽きない。
よく滑る、畝になった部分の窪みを押さえる。
「え、……ええ……いや……」
私は指を二本に増やし、粘液を優しく掻き取るように、こすった。
「な……何を……あ……い、エ、エヴゲーニイ・パヴロヴィチ……やっぱり貴男でないと……」
「貴男でないと? 他の男を試したのですか?」
「た、試してません! も、もう……ああ、だから……ずっと、あ、あの……きゃ……あ、あの、溜まって……」
「ふん、欲望が溜まっていたのか……」
私は時折垂れてくる粘液を舐めとりながら、曲がりくねった洞窟の壁を撫で続ける。
あふれてくる粘液を左手の指先につけ、膨れた果実もこする。

「妹よ、他の男に抱かれてみれば良かったではないですか……。お兄様は止めませんよ。
コシュターシャだけではなく……ニジーニイ・ノヴゴルドの人は? イルクーツクの人もいますね。なんならヒローシャだって……口が固いですし」
「や、やめて……あ……、ああん……だって、なんで、貴男以外の人になんか……」
「本音が出ましたね……」
「ち、違います……本音ではありません……」
「嘘をつくと、ここでやめますよ」
「ご自分が一番大嘘つきのくせに……あ、あああ」
内腿が痙攣している。

「リーザ、貴女の中に私のものをいれなさい。上に乗って……好きなように」
「はい、お兄様……」
リザヴェタが溜息をつきながら私のものを自分に突き刺す。
締まり、これからくる大きな痙攣のきざしでわずかに震える洞窟のなかに、こすられながら這い込んでいった。ああ、気持ちが良い……。
「い、いや……。何を心地良さそうな穏やかな顔をなさっているの……ほんとうに腹立たしい方。ああ、腰が……」
リザヴェタの腰は上下によく動き、内腿の痙攣が激しくなる。締めつけられ、リザヴェタはうまく私を操り、自分の良い場所を突いている。
「ひどい……あ……ん、もう貴男は……」
「リーザ、貴女が突いているのですけれど……私は怪我人だから、何にもできません」
「嘘ばかり……あ、も、もう……駄目駄目!」
激しい痙攣とともにリザヴェタの動きが止まる。
余韻が続いているらしく、全身でびくびく跳ねた。恍惚が訪れたらしい。

「あ……リーザ、激しいですね……このまま、私がいくまで……上で暴れてください……」
リザヴェタは上半身を折り、私に乳房を密着させた。疲れたらしく、荒く息をしている。
「……エヴゲーニイ・パヴロヴィチ、素敵でした……。わたくしは疲れたのであとはお一人でどうぞ。
それともお隣に行って小間使いに頼んだらいかがでしょう?」
「え……」
リザヴェタは体を抜き、笑いながら寝そべっている。私はおさまらない……。
「殿方がお一人でなさるところを見てみたいのですわ」
「リ、リザヴェタ」
「ずいぶんわたくしに恥ずかしい姿をさせてくれましたわね。お一人で慰めて見せてくださいませ! お兄様!」

「ああ……はい」
リザヴェタは私の乳首をいじり、先が立ったと喜んでいる。
「ではやって見せますから……、貴女はろくに舐めてくれなかったではありませんか……。どうすれば私を気持ちよくできるのか覚えてください」
「わかりましたわ、お兄様」
楽しそうにくすくす笑っている。
私はリザヴェタの好奇の視線のなか、自分のものを握り、時々リザヴェタの乳房に触れた。
「ああ、領主様のこのような姿を皆に見せたいですわ……」
「何とでも言ってください……」
私は左手でリザヴェタの腕を引っ張り、接吻した。
「怪我が治ったら、貴女をもっと恥ずかしい目に遭わせますからね」

私は十代の少年のように自ら上下に動かしつづけ……、いや、十代のころも婦人に触れていたのだが、当時の私の激しい欲望を完全に満たすにはまったく足りなかった。
私はリザヴェタを口づけから離す。
「リザヴェタ、御覧なさい。……あまり見たことがないでしょう?」
切っ先からどろりと白い液が少しずつ溢れて、自分の男根を握る私の右手に流れてくる。

「こんなふうに出てくるのですか……」
リザヴェタが感心して観察している。
フョークラにいろいろやってみせられた子供のころのことを思い出した。
「……ああ、奥様、……少々、気恥ずかしいのだが」
リザヴェタが失笑する。私は疲れ、腹で大きく息をした。
しぼんでいく私の根を、リザヴェタが生真面目な表情でいじっている。


アイキャッチ画像
“View of the Kremlin from Krymsky Bridge in Inclement Weather”
Painted by
Alexei Savrasov (1830–1897) [PublicDomain]