第42話 ミハイルとイヴァン 4 監獄または修道院

領民あいてに狐用の危険な罠を仕掛け、日に日に手に負えなくなる後継ぎのミハイル。お父様である領主様は、ついに次男のイヴァンを後継ぎにすると宣言します。
領主様は忠実なヒローシャとともに、修道院にミハイルを連れて行きます。

10月21日,1834年

九月に、農奴の子供、マトヴェイ・ニキトヴィチ・ザレスキイが狐用のトラバサミという罠で足を砕いた。
罠は領主館のものだった。

マトヴェイが怪我をした翌日、私はヒローシャとともに領主館の裏手にある倉庫を調べた。
鍵はきちんとかかっていた。
「十七個あるはずですが……」
備品表を見ながらヒローシャが言った。ヒローシャが文字を読めるようになって便利だ。

私はネズミ捕りだの、荒縄だの、大工道具だののなかからトラバサミを探す。
「七つしかない。ひとつは昨日のマトヴェイのぶんだとして、あと九つどこかに仕掛けてあるわけだ……ここの鍵を持っているのは……。私とテレージンとリザヴェタ、それにおまえか」
「はい……。それから家じゅうの鍵を金庫に保管されていましたね」
「領主館の中にいる者だろうね」
「しかし、鍵のありかを知っているのはごく少数です」
「ある程度、私たちの近くにいる者だな……」
あまり認めたくないが、犯人の見当はついた。

「ヒローシャ、夏にミハイルにキノコの多い場所を教えたと言っていたな」
「……はい。黒馬のオセローを傷つけた時だったと思います……」
「言った場所は覚えているか?」
「マトヴェイが引っかかった西の森は言いました。……ただ、西の森にはあちこちにキノコが生えていますから……」
「西の森の、大きな石が十個ばかり倒れているところは知っているか?」
「はい、そこもお教えしました」
「マトヴェイが罠にかかったのはそこだ。あそこはあまり知られていないのではないかね。……アクリナを狙っているとしか思えない」
「アクリナ様の家からも近うございます」
「狙われた相手がアクリナだけならまだ、彼女にキノコ採りはやめろと言えるが……罠があと九箇所にあるというのはまずい」
「はい……」
私は諦めた。何をかというと、ミハイルを、だ。
「もう良い。昨日の、マトヴェイのような犠牲者をこれ以上、出すわけにはいかぬ」

秋蒔き小麦の植えつけで忙しい時期であった。
だが、その日は一日、農奴を数十人駆り出して他にも罠がないか探させた。
なんとか九つ見つかった。

その晩、私とリザヴェタはしばらく話し合った。
農奴に『誰がやったか』誤解させるわけにはいかない……。
リザヴェタはもちろん嬉しくはなさそうであった。うつむき、爪を噛む。
だが、マトヴェイの有様と、領内に仕掛けられた十個のトラバサミのことを考えると、仕方がないと思い切ったらしい。
「エヴゲーニイ・パヴロヴィチ。もう、農奴たちに黙っているわけにはいきませんね。Я家自体の信用を落とすことだけは避けなければ」
私はミハイルを母屋の一室に軟禁した。
そして、後継ぎはイヴァンだと農奴たちに宣言した。これで領民たちに犯人を告げたも同然だった。

修道院から返事が来た。
生神女庇護祭のあとに、私とヒローシャで預けに行くことになった。
北西の隣県、プスコフの湖沼地帯に、素行不良の貴族の子弟を入れる懲罰的な修道院があるという噂は聞いていた。

「本当はヴァーニャがやったのです……。
お兄様の敵討ちをすると言って。あの黒い服の魔女に領地をうろうろさせないようにするって」
最低二年間、修道院で過ごすことを告げると、ミハイルはそう言った。

十月十四日の生神女庇護祭が終わり、屋外作業が済むと、私とヒローシャはミハイルを連れて馬車を出した。
道はとても悪い。大きな街道は東のモスクワに向かう。直接、北西のプスコフ県に行くには細い道しかない。
逃亡防止に、縄で縛ることすら考えた。しかし、逃げた子供がどうなるのか。帰ってなどこれまいし、途中でろくでもない連中に捕まって売られるのが落ちだ。ミハイルにはそう言い聞かせた。この子供は早熟で、良くも悪くも賢く、保身に長けている。

片道百五十露里ほどだ。ヒローシャは馬を飛ばす。
私は猟銃を背負い、プロイセンの農学者による『合理的農業の原理』を読んでいた。揺れるので読みにくい。
ジャガイモを育ててみようかと思う。

「お父様、あの罠はイヴァンが置いてきたのです。僕は無罪です」(『無罪』などという言葉を使う)
「ふむ、そうか」
馭者台に呼びかける。「ヒローシャ、ヒローシャは僕を信じるよね」
「ミハイル坊ちゃまが罪を認め、全く改心なさったら信じます」
「ヒローシャ、馬に乗せて」
「急ぎます。駄目でございます」
誰も相手にしないと諦めたらしい。ずっと『貧乏ゆすり』をしながら外を見ている。
途中、駅舎の、南京虫だらけの藁の寝台に一泊して、翌日の、陽の暮れるころには修道院の近くまでたどりついた。

湖沼地帯である。
狭い馬車通りが土手状になっていた。通りを真ん中に、左右ともに半サージェンも下ると、すぐに沼の岸に着く。
空が暗くなりつつあり、すでに水面は真っ黒であった。猛々しい細長い水草が突き出る影が見えた。
道は登りになり、修道院ののっぺりした石塀が近づいてくる。
リャードフ家のあった街に建つ、シベリヤの名高い修道院ほどの規模はない。
それでもかなり広かった。ココシュニックのある聖堂と鐘楼、それに修道士たちが暮らすための大きな四角い建物がある。
あの修道院のような、不信心者の私ですらわずかに感じた、聖なる様子はまったくない。むしろ、同じ街にあった監獄に似ていた。

道を外れれば簡単に沼に落ちるであろう、曲がりくねった小道を、ヒローシャは巧みに馬車を操って進む。
修道院は沼から露出した岩盤に立っている。
しばしば水が打ち寄せてくるようだ。
漆喰と木造の入り混じった建物は、夕闇にぼんやり白く浮かぶ石塀に囲まれていた。
石塀には水平の線が何本も引かれているように見えた。時々水位が変わり、水に浸かるためなのだろう。
水平の線が下がって行くほど、線の下の石塀の色が濃くなる。淡灰色から濃灰色へ、そして真っ黒になる。

門前に馬車を止めた。
私は鐘楼の下にいた鐘撞き兼門番に名前を告げた。ヒローシャがミハイルを馬車から抱きおろし、連れて来た。
ヒローシャは休む間も無くトランクを取ってくる。
私たちは案内人に連れられ、監獄か兵舎を思わせる漆喰の建物に入る。
水鳥が鳴く声がした。

建物には窓が少なく、ランタンや燭台もあまりない。ひどく暗かった。
面会室とやらの、いくつか長椅子が並んだ部屋に案内された。
すでに先客がいた。
ほっそりして姿勢の良い婦人が、一人で立ってイコンを見ていた。相当な身分の方のようだ。
貴婦人は私より少々年上で、心労でやつれた顔をしている。簡素なドレスは、布地も縫製も、実はたいそう手が込んでいるのがわかる。
気品と威厳は恐ろしいほどだった。
ちらりと指輪の紋章が見えた。私のような中規模の領主などが軽々しく近づける方ではない。

ミハイルが貴婦人にちょこちょこと歩み寄って行く。
「奥様、どうか助けてください!」
私は驚き、ミハイルの外套を引っ張った。
「やめろ、無礼だ」
「この男は悪い家令で、領主の後継ぎの僕を追い出そうとしているのです!」
私は慌てて謝る。
「奥様、申し訳ありません。これは私の息子で……」
「嘘です! 僕はスモレンスクの領主のバシュキロフ家の後継ぎです。家令は自分の息子と僕を入れ替えようとして、……」
よくそんな時間稼ぎにしかならない嘘をつくものだ。通行許可証を見せればすぐに嘘だとわかってしまうのに。

貴婦人が微笑んだ。「まあ、可哀相。大変ねえ……」
しゃがみこんでミハイルの頭を撫でる。
私は言った。「奥様、ご無礼をお赦しください。息子には虚言癖があります」
貴婦人は私を見て軽く優美にうなずく。わかっていると言いたげだった。

「坊ちゃん、貴男はなんていうお名前かしら?」
「ミハイル・バシュキロフです、奥様」
「スモレンスクのバシュキロフ様……あら、主人とお付き合いのある方だわ。
まあ、そんなことになっていたなんて。坊ちゃんをわたくしどもの屋敷にお連れして、主人に頼んでみましょう。バシュキロフ様に連絡してくださるように」
「奥様、ありがとうございます。本物の父と母がきっと心配しております」
私とヒローシャは呆気にとられ、ミハイルと、高貴な婦人を眺めていた。
「お父様とお母様にお手紙を書いても返事はいただけないかもしれませんわね。そうしたら、ミハイル坊ちゃんは、わたくしのうちの子になれば良いわ」
貴婦人はミハイルの頭を撫でた。……貴婦人の言葉は奇妙だ。あまりにもミハイルに都合が良すぎないか?
「可愛らしい坊ちゃんだこと! 本当に連れて帰りたいわ!」
貴婦人がミハイルに訊く。「貴男の父称は?」
「エヴゲーニエヴィチです。奥様」
貴婦人が、不意に私に話しかけた。
「……悪い家令様。貴男様はエヴゲーニイ様というお名前かしら」
「はい。さようでございます」
「まあ、この子もまだ粗があるわね。でもどんどん巧妙になっていきます」
貴婦人はミハイルを撫でるのをやめ、立ちあがりながら誰にともなく言った。
「わたくしの息子もそんなことばかり言っておりますよ。そろそろ二十歳になります。もうそんな子はいらないの」
貴婦人は私に会釈して、来た道を戻っていった。従僕が影のようにつき従っていた。

修道院長が来た。
険しい顔つきで、年齢の見当がつかない。
ランタンを持っている。私たちに修道院内を案内しようと言い、廊下に出た。
修道院も、領地や農奴を持っているが、ここにはなさそうだ。少なくとも近くにはない。農奴を鞭打つ修道士の話を聞いた時には呆れたものだが……。
領地がなくてもやっていけるのならば、それだけ寄進で賄えているということなのだろう。

「周囲は広大な湖沼地帯ですから、まず逃亡はできません。あちこちに湧き水があり、冬でも完全に凍ることはありません」
修道院長はいきなりそう言った。
この修道院が祈りの場所ではなく、隔離のための施設だということを露骨に示す。

修道院長が訊いた。
「坊やは何という名前かね」
ミハイルは答えない。「ミハイル、修道院長様にご挨拶しなさい」
ミハイルは押し黙っている。
修道院長が言う。「別に結構です。ミハイル・エヴゲーニヴィチ・Я、1828年8月生まれ。六歳ですね」
「はい、そうです」

私はミハイルと手をつないでいたが、ミハイルは、振りはらって一人でさっさと歩いて行く。
絨毯敷きの床は湿っている。一歩一歩廊下を進むごとに、長靴が濡れた絨毯に沈み込む。靴に染みてくる水はかなり冷たい。
時折、大人の修道士が立っている。黒い修道服リャサに隠しているのは猟銃だ。
「……どこもこんなに湿っているのですか?」
私は修道院長に訊いた。かなり高い寄付金を払った。
先ほどの貴婦人はおそらく、口止め料も含め、もっと払っているであろう。それなのにこの設備はひどい。
「いいえ、先日の雨で増水しまして、一時的なものです。……」
これも本当か怪しいものだ。

細い廊を延々歩き、やがて聖堂に入った。
夜の祈りをしているようだ。聖堂の四方の壁にはほとんどイコンがない。壁の上部には若干ある。そうなった理由は、生神女マリヤのイコンに描かれた卑猥な落書きを見て、わかった。
壁際には鞭を持った修道士が数サージェンごとに立っていた。
一段低い聖堂のホールに数十人の長修道服ポドリャスニクを着た少年が詰め込まれている。五、六歳から二十歳過ぎまでだ。
司祭の祈りをつんざいて、笑い声や叫び声がし、少年たちを取り囲んだ修道士から鞭が飛んだ。

「坊ちゃんには祈りと学び、そして労働の日々を健やかに過ごしていただきます」
聖堂の床も湿っていた。少年見習い修道士たち……あるいは流刑者たちの立つ聖堂中央は、やはり絨毯が半ば水に沈み込んでいる。

「この子の部屋はどういったものになるのです」
私とヒローシャ、それにミハイルは、扉がずらりと並んだ一角に案内された。扉は完全には閉まらない。上と下が大きく開いている。
中は農奴の家よりはましだろうか。
窓はない。寝台と小さな戸棚、壁の十字架だけがある。寝台は藁に麻布をかけただけのものだった。

他に、教室と食堂を見た。だいたい同じようなものだ。
食堂だけは建物の中でも一段高いところにあり、ペチカが轟々燃えていた。
厠は直接、湖だか沼につながっている。
泳いで逃亡を図った者がいるのだろう、用を足す少年一人一人に見張りがついていた。

今後の住処のあまりの貧相さ粗悪さに、ミハイルが哀れになってきた。
「院長、もう少し建物をなんとかできませんか。湿気が多すぎる。かなりの寄付をしたと思うが」
「はい。しかし、お父上、私どもが私腹を肥やしているなどと考えるのは大きな間違いです。
少年はすでに百人近いのです。
これだけの数の……生まれはたいへん恵まれた悪童たちを何とかここ一箇所に閉じ込めておくのは、とても大変なことです……。
正直なところ、流刑囚などより酷い者がごろごろいます。
少しくらいの犯罪ならば有力な身内が揉み消してくれる身の上なのですから!
形だけでも祈りの生活をさせておくのに、どれほど細心の注意や誠実な人手が必要だとお思いでしょうか。
少年たち百人足らずに対し、見張りや教師は四百人もいるのですよ!
ああ、しかも見張りの修道士のなかには何人も殺された者がいるのです……」
「入っている少年でも殺された者がいるのですね」
ミハイルが言った。
院長は率直だ。「少年同士の喧嘩がある。気をつけなさい」

私は悲惨な表情をしていたのだろう。
ヒローシャが私に囁く。
「改心のためです。他の農奴やイヴァン坊ちゃまのことをお考えください」

ふたたび面会室に戻ってくると、私は院長とミハイルに言った。
「修道院長殿、では頼みます。ミハイル、また来るから」
ミハイルが甲高い少年のソプラノで叫んだ。
「嘘だ! 二度と来ないだろう。お父様。エヴゲーニイ・パヴロヴィチ!
貴男は僕よりお母様より、あの黒い服の魔女のほうが大切なのです!
貴男が魔女と乳繰り合っているあいだ、お母様が泣いておられるのなど知ろうともしませんね!」
この子供は、たった六歳なのに、恐ろしいほどこちらの弱いところを突いてくる。言葉が達者すぎる。
リザヴェタが泣いている……?
私はミハイルに苛立ち、殴りたくなった。しかし、相手にしては駄目だ……。

「ミハイル、元気でな」
「卑怯者、卑怯者、お父様! 僕を捨てないで!」
悲痛で哀切な訴えに思わず振り向くと、何の表情もない。
ぞっとして、私は足を早めた。その間じゅうずっと、ミハイルの哀れな叫び声が続いている。
「お父様! 僕を忘れないで! 魔女のために僕を捨てるのですか……」
修道院長や、他の修道士に息子を頼むと言い残して、ヒローシャを連れて外に出た。
『死ね!』という声が最後に聞こえた。

—-

夜の湖沼が黒いぶん、空は白々と明るく見えた。星がたくさんまたたき、あたかも星が氷の欠片のように、冷えてくる。
私はやはりぐったり疲れていた。馬車にもたれてぼうっとしていた。
「領主様……」
ヒローシャが心配そうに言う。「仕方ないのです」
「うん、あれはミハイルの手だ」
「坊ちゃんは、何と申しますか……邪悪になってしまいました。大切な領主様。馬車を出しましょう。お乗りください」
「ああ」

ヒローシャに手巾を渡される。
「……え、私は泣いているのかね」
「はい、大切な領主様。私は貴男様のそういうところが好きです」
「おまえも口が上手くなったな……」
ヒローシャが馬を出した。
監獄兼修道院の石塀が遠くなっていく。
「ここで駄目なら……ソロヴェツキイ修道院だな。入れてくれるのか知らないが。アルハンゲリスク県か……」
【* 白海にある巨大で由緒ある修道院。世界遺産。スターリン時代には強制収容所になり、ソルジェニーツィンの『収容所群島』の舞台となった。北緯65度。ちなみにスモレンスクは54度、東京は35度】

ミハイルがいなくなったぶん座席が広くなった。私は馬車籠の扉に寄りかかり、靴を脱ぎ、足を反対側の窓に載せる。
「……ヒローシャ君、ああ、もし……」
確かに涙声だ。こんな姿はアクリナにはともかく、リザヴェタには見せたくない。

「ヒローシャ君……、聞いているかね」
「『私が死んだら』のお話は結構でございます!」
ヒローシャも涙声だ。
「では、いつも尽くしてくれるからご褒美に……」
「娼館も結構です!」
「この前、小間使いたちが、おまえが素敵だと話していたぞ」
「見え透いたお世辞はおやめください……」
「異族民で最初は怖かったけれど、話してみると親切で、凛々しくて、なにより物腰が優雅で、……ちょっとした立ち居振る舞いが、……りょ、」
私は思わず笑いだしてしまう。
「領主様にそっくりだそうだ!」
「ええ! あ、ああ……!」
十字を描いている……。
「わ、私は敬虔なご婦人にご無体なことをしたり……血まみれにしたり……昼間からご婦人と……いくら恋人といっても……あ、あの、したりいたしません……」

「もう、おまえが後継ぎでいいよ……。ああ、ヒローシャ君、君が実は私の隠し子だったということで……」
「あの……年齢が……」
「そういえば、十歳頃、美しい東洋の少女と恋に落ちたな……。黒目が大きくキラキラしていた。名前はヒローリナだ。私の初恋だったな……」
「初恋は魔女のフョークラではないのですか……?」
ヒローシャは何でこの程度の他愛のない嘘に騙されかけているのだ!

私は道端のずいぶん先に灯りを見つけた。箱柳の枝垂れた枝の下に、小さな丸太小屋があり、灯りが漏れている。
「駅舎だ! 居酒屋もある。貴族の義務だ、誰か飲んでいたら奢ってやろう。ついでに、私とおまえがちゃんと親子に見えるか試してみることにしよう」
「……わかりました。大切な領主様……」
ヒローシャは溜息をつきながら、馬を駅舎に止めた。

馬車から降りながら私は文句を言う。
「ヒローシュカ、違うだろう。大切な領主様ではない。『大切なお父様』だ」
「……大切なお父様、居酒屋に行きましょう。お願いだから飲みすぎないでくださいまし……」
居酒屋からはバラライカの楽しそうな音楽や、男女のかけ声が流れてきた。焼いた肉の良い匂いもする。

店に入るころには、先ほどまで単なる私の冗談であった初恋の少女ヒローリナ・ヒロリエヴナは、シベリヤに住んでいた、とある民族の元王女という高貴な身の上に進化していた。
黒髪の美しい王女ヒローリナ・ヒロリエヴナ・アクリーナは石榴石の耳飾りをし、薬草に詳しく、鸚鵡を飼い、キノコを育てているのだった。
『店主殿、大切なお父様と私にウォトカをください!』
我が息子、ヒローシャの自暴自棄な声(と店の客の笑い声)が聞こえてきた。


アイキャッチ画像
“Night on the sparrow hills”
Painted by
Alexei Savrasov (1830–1897) [PublicDomain]