第60話 売国奴

二十世紀の領主様です。

1839年から20世紀へ

私はルサールカが戻ってくる時期をひたすら待って暮らした。暮らすという言葉が適当なのかわからないが。
ルサールカたちは聖霊降臨祭の五月に水から上がり、夏に水の中に帰っていく。
ああ、ずっと手元に置いておきたいのに、ルサールカは湖に戻らないと、畑に水を運んでこられないという。

1861年に農奴解放令が発布された。
国家が領主に大金を支払って土地を買い取ることになった。その金は元農奴に重い負担になってのしかかった。
これでは無理だ。
領地……いや、我が家系が所有する土地はずいぶん減った。
単に村の名前に我が家名が残るだけで、土地のかなりは農民たちのものだ。パヴリューニャことパーヴェル・エヴゲニーエヴィチ・Яの子孫は、モスクワやサンクト=ペテルブルクで役人や軍人になり、官位をもらって暮らしている。

二十世紀になった。
なんということか、我が祖国が極東の小国に負けた。【* 1904~1905年、日露戦争】
こんなことがあるのだろうか?
オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が射殺され、大きな戦争が始まった。
戦争のさなかに、革命が起きた。
そんなことが我が国で起きるとは……。皇帝陛下のご一家は処刑された。

内戦が続き、社会体制も変わったらしい。少なくともステパンが願ったのはこんなことではなかったろう。
こんどは『レナ川のウリヤノフ』【* レーニン】という男が皇帝のようなものになった。皇帝の延臣たちは『党』と呼ばれた。

村の共同体(ミール)を壊し、再編成するために、比較的豊かな農民……つまり、有能な農民を撲滅する運動がはじまった。
強制的にシベリヤや、貧しい土地に移住させるのだ。富農撲滅運動(ラスクウラーチヴァニエ)という。ウクライナのほうはひどかったようだ。
また、強制的に小麦や食べ物を徴収し輸入にまわし外貨を稼ごうとした。耕作者の食べるものまで輸出してどうするのだ。
信じられない! 餓死者や強制移住による死者が何百万人も出た。ホロドモールと呼ばれている。
ああ、オクサーナやヴィラは無事なのか? キエフで開いた料理店はうまくいったのか?
もう、どうせいないのか……。

別の戦争だ。うちの土地に哀れなポーランド将校の虐殺死体を何千も埋めないでくれ。畑の土が使えなくなるではないか。【* カティンの森事件】
そして二回目の世界大戦が始まり、またスモレンスクは泥沼の戦場になる。
ドイツではひどいことが起きているが、我が国はそれよりずっとたくさん内部で殺している。アルハンゲリスクのソロヴェツキイ修道院は政治犯の行く巨大な収容所になった。

かつての私の土地には工場が建った。
南の湖の水は、工場用水に使われた。ポポフの魚の王(ヴォジャノイ)もルサールカたちも次第に消えていく。

ついに恐れていた、アメリカとの静かな闘いが起きた。
あのジーザスジーザスと言いながら黒人奴隷をこき使っていた国が、ずいぶん巨大になったものだ。

私はかつて、彼らの大学に我が祖国の根源を探る、貴重な文書を売り渡した。……私は売国奴なのだろうか。

ルサールカが来なくなった。

もう良い。

アメリカと戦って勝てるのか知らない。
勝とうが負けようが、そのうちまた、工場が潰れ、畑に戻る日も来るであろう。
湖はすでに干上がっていた。ここがふたたび湖になり、ルサールカが戻ってくるのを待とう。……私はしつこいのだ。
私はしばらく黙っている。ルサールカが戻るまでの、ほんの少しのあいだだけだ。


アイキャッチ画像
“Winter landscape”
Painted by
Alexei Savrasov (1830–1897) [PublicDomain]